「偶然」の出会い

 帝都アルケニアからコバへ向かう街道沿い、帝都から馬車で1日半ほどの特に何があるという場所。そこに馬車が止まっていた。その造りからすると旅客用の乗り合い馬車であろう。その周りには所在無げにたたずむ数人の人影が見える。見ると馬車の車輪が壊れ、車体も大きく傾いていた。これでは進むことも、中で休むこともできないだろう。

 馬車の周りにいるのは4人、男が3人と、女・・・というよりは少女が一人。男のうち二人は御者とその助手で、残りの二人が客であろう。その男の客が車輪の様子を見ていた御者に声をかける。
「どうです、なんとかなりそうですか?」
「こりゃダメだね。軸が歪んじまってる。部品を取り替えないことにはどうしようもねぇや」
 首を振りつつ答える御者に、更に男が訊ねる。
「部品の交換はすぐ出来るんですか?」
 御者は両手のひらを上に向けて肩をすくめる。
「部品の予備はこないだ使っちまったところでね」

 それを聞いた客はふぅっと溜め息をつく。
(やれやれ、運の悪さには慣れているといってもまいりますねぇ)
内心でつぶやきつつさらに訊ねる。
「では歩いたとしたら・・・」
「明るいうちにつくのはまず無理だな」
 客の言葉が終わる前に御者が答える。どういうことを訊きたいかぐらいはわかっているようで、そのまま続ける。
「馬を馬車から外して、乗ってコバまで。部品を手配して、ここを通る荷馬車に載せて帰って、修理・・・ま、明日の昼までにはなんとかってとこかな」

 客はやれやれといった調子で少女の方を振り返る。
「そういうことです。エリスさん」
「あらぁ、どうしましょうねぇ。えっとぉ・・・」
「ムーア・トロップスですよ。エリスさん」
 苦笑しつつ答えるムーア。

(エリスさん、ですか。あの人と同じ名前ですね)
 思い浮かべるのは彼の婚約者のことである。とはいえ今まで顔を合わせたこともない。レグルタ貴族として生まれた彼らの親同士が決めたことで、それこそ物心つく頃には将来の相手として決まっていた。もっともムーアの方には異存があるわけでもない。彼女は現在も生地で親と暮らしているはずだ。

 さて、一方すずしい顔をしているエリスの方であるが、こちらは内心焦っていた。
(どうしましょうねぇ、まさかぁ、この人がぁ婚約者だったなんてぇ)
 そう、実はこのエリスがムーアの婚約者である。なぜそれを黙っているかというと、
(家出してきたのにぃ、まさかぁ、偶然会っちゃうなんてぇ。ここはぁとぼけちゃうしかないでしょぉ)
ということである。同じレグルタ貴族の生まれでありながら、エリスにはその意識は薄い。大自然に囲まれて育ったせいか、それが壊されない限りは関知しないという妖精のような考え方をもっている。そのせいか家を飛び出すこともしばしばであったのだが、どうやらムーアにはそのことは知らされていなかったようだ。

 互いに複雑な思いを抱えてはいたのだが、ムーアにしても、たとえ婚約者でない(と本人が思っている)としても、子息令嬢のエリスを野宿させるのは許せない。とはいえ、この状況を解決出来るわけもなく、途方に暮れるしかないのであるが。そのエリスはというと、何やら遠くの方をみつめている。
「・・・どうやらぁ、何とかなりそうですねぇ」
 怪訝そうに同じ方向を見るムーアだが、彼には何も見えない。
「馬車の音がぁ聞こえるんですぅ。そろそろぉ見えると思いますぅ」
 その言葉通り、少しするとムーアにも馬車の音が聞こえはじめ、立派な造りの馬車が見えてきた。

 通りかかったのは彼らの目的地であるコバの若き領主、ヴィルス・グラスの馬車であった。ヴィルスはムーアとエリスを乗せてコバへと向かうこととなった。御者は馬で一足先にコバへと向かい、助手は見張りとしてこの場所に残っている。

「そろそろ近いよ」
 穏やかなヴィルスの声にムーアが答える。
「けっこう走りましたね。・・・・」
 その後、しばらくは馬車の中で今後の予定についての話が続き、彫刻家であるムーアの作業場としてヴィルスの所有する物件を使わせてもらえる話もまとまった。そして馬車は美しいコバの街が見渡せるところまでやってくる。
「ようこそ、コバの町へ。ゆっくりと楽しんで下さい。住民を代表して歓迎するよ」
そう言うヴィルスに握手で応えながらムーアも改めて挨拶を返す。
「彫刻家、ムーア・トロップスです。こちらこそよろしくお願いします」
「エリス・アリティアですぅ。よろしくぅ、お願いしますねぇ」
 つられて挨拶するエリス。だが、ムーアはそれを聞き逃さなかった。
「エリス・・・アリティアだって? どうして君がここにいるんです?」
 驚いた顔で問いかけるムーアに、エリスはしまった、という顔でごまかすように笑みを浮かべていた。そしてヴィルスはさすがにあっけにとられた様子で二人を眺めていたのだった。


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