025 : ま、いいか





「よぉ、久しぶり。えっと、三年ぶりだよな、確か。うん、そうだ。三年だ。しかし、それにしちゃ変わってないよな、あんた。相変わらず飄々とした得体の知れないおっさんだぜ。いや、褒めてるんだって!
 こっちに来て驚いたんだけど、あんた大した有名人なんだな。『メトロポリス』っていうんだろ、次の映画。前評判も上々だし、どこへ行っても噂話でもちきりだ。こういうご時世だから、色々大変だとは思うけど期待してるぜ。公開したらオレも見に行くよ。……ん? ああ、違うよ。別にチケットくれって言ってるわけじゃないさ。ちゃんと興行には貢献するって。それにオレ、自分でふらっと映画館行くのが好きなんだ。その時、どこの国にいるかもわかんねぇしな。

 こっちは相変わらず好きにやってる。今はドイツを離れて旅をしてるんだ。弟も一緒だ。二人であちこちまわって、結構忙しい日々だよ。
 あの国には一ヶ月前までいた。懐かしいな。『ミュンヘン』って今でもオレにとっては特別な場所だ。でも、何ていうのかな。国中が随分ときな臭くなってきた感じがする。あの時もそうだったけど、今の方がもっと。空気がピリピリしてるっていうか、異様な熱気があるというか……。あんたもそろそろ本気で移住を考えた方がいいと思うぜ。ああ、そういえば奥さんがフューラーの信者とか言ってたっけ。そっちも大変だな。まあ、ほどほどにしとけよ。無茶して死ぬなんてことだけは止めてくれ。知り合いが死ぬのは後味悪くて仕方ない。人は死んだら、生き返らないんだからさ。

 うん? 鋭いな、あんた。人を見る仕事なんてやってるせいか? ……確かにオレ、今、別の奴のこと思い出してた。ああ、まいったな……
 ……オレの友人のことだ。今はもう死んでしまっていない奴のことだよ。実はさ、ドイツに行ったのはそいつの墓参りのためだったんだ。この間、命日だったから。
 こうしてあんたといると、その友人のことを思い出す。何でだろうな。別に似てるってわけでもないのに。そういえば、あいつ、あんたのことを知ってたよ。オレに『ドクトルマブゼ』のことを教えてくれたのも、あいつなんだ。『高名な監督だよ、知らないの?』って呆れられたな。そんなこと言われたって、知らねぇもんは知らねぇって。映画なんてろくに見てなかったんだから……と、失礼。あいつにも視野が狭いのはよくないって説教されたな。年下のくせにやたら説教癖があってよく辟易したよ。でも、だからってわけでもないけど、今は映画も見るようにしてる。なかなか面白い娯楽だって最近ようやく思い始めたところだ。

 初めにあいつと会ったのはこの国だった。場所は違う。トランシルバニアだ。 オレはオーベルトって奴を訪ねて行ってあいつと出会った。オーベルトは知ってるか? そう、そいつ。アルフォンスも……その、友人の名前だよ。アルフォンスって言うんだ。 あいつも、オーベルトのところへ通ってた。ロケット工学やっててさ。 目指すところが同じだったから、オレ達は一緒に勉強したんだ。
 ロケット工学。オレも夢中になってた時期があった。目的があったからな。 あんた達で言うところの『シャンバラ』ってやつだ。
 なあ、ずっと不思議だったんだが、あんたオレが向こうの人間だって知ってたのか? ウーファでは何か意味深なこと言い出すし、突然『パラレルワールド』なんて言われた時には、 やっぱりそうじゃないかってあれこれ疑ったよ。……というか、実は今でも少し疑ってるんだけど ……ま、いいか。今更だしな。
 えぇと、どこまで話したっけ? その後、色々ごたごたがあって……個人的なことだ。 親父が失踪したりとか……。とにかく、それでオレは一人になってさ、 それからも幾つか面倒があった後に、結局 アルフォンスのところに転がり込んで部屋をシェアすることにしたんだ。 その方が金もかからないし、研究にも便利だったから。
 あいつも研究の資金繰りに 行き詰まってたから心機一転するにはお互い良い機会だってことで、オレとあいつとチームの皆とで、ミュンヘンに行った。 ドイツを選んだのは、研究資金を提供してくれる団体を探すのが容易だからさ。ああ、トゥーレ協会もそのうちの一つだったけど、それ以外もあったぜ。ドイツ政府はロケットの、というより、ミサイルの開発に躍起になってたからな。
 自分が人殺しの道具に手を貸してるってことは、わかってた。 けど、それでも、身勝手だとわかっていても、止められないことはある。 力を持つ者の性だ。自分の内側にある声に突き動かされて逆らうことが出来ない。 それは、アルフォンスのような工学者であれ、オレのような…… いや、何にせよ、自分が持てるものを自ら捨てるってのは……そんな簡単に出来ることじゃない。
 だから皆、こう思ってた。いずれはこの技術が本来の用途に使われるべき未来が来るって。 盲目的に信じていたと言ってもいい。希望だ。楽観的な。もしかすると願望に近いのかもしれない。
 そういうこともきっと無関係じゃなかったんだろうな。オレが見た、門の中の死の光景を思い出しちまって……まあ、それはこっちの話だ。とにかく、自分の知識が争いに利用されることや、技術力そのものの限界を感じて、オレは次第に諦観に支配されていった。でもそんなオレとは違って、あいつは最後まで情熱を失わなかった。それで、とうとう『シャンバラ』へと行くロケットを作ったんだ。おかげで、オレは一度向こう側に帰ることが出来た。感謝してもしきれない。おかげで大切な人たちに会うことが出来たし、弟とも再会出来た。
 でも、まるでそれと引き換えにするように、あいつは死んでしまった。もともと病気を患っていて余命は少なかったけど、死んだのはそのせいじゃない。
 撃たれたからだ。……たぶん、オレを助けたことが原因で。
 後悔してる。ずっと後悔している。遠からず死は彼に訪れるものだったけど、だからってあんな死に方、納得出来やしない。
 それなのに、あいつの死に顔は穏やかだった。信じられないぐらい満足そうに笑っていた。
 何であんな風に笑って死ねるのか、オレには分からない。 自分のやりたいことをすべてやったからだろうって言う奴もいたけど……どうだろうな。本当のところは、誰にも分からないし。あいつが満足して逝ったっていうなら、それが最良だとは思うけど、そうやって思うのも、ただの自己満足なだけかもしれない。もう、本人に聞くことなんて出来ないから、こうやって想像して悩むだけさ。

 でも、それなのに。薄情なことにさ、オレ、アルフォンスのことを思い出すことってあまりないんだ。友人だったのに。オレのせいで死んでしまった奴なのに。冷たいだろ? でもそういうもんだと思ってる。毎日生きていくのに必死で後ろを振り返る余裕がない。
 それでも時々、何でもない日常の間に、例えばこうやって飲んでる時とか、 街を歩いて空を仰いだ時とか、ショーウィンドウ越しに青い宝石を見た時とか、 そういう何でもない日常に、心の空隙にすべりこむように、あいつと過ごした日々が脳裏を過ぎる。 ふいに過去が鮮やかに蘇ってくる。それはあまりにもリアルな情景で、 現実でないのが信じられないほどだ。
 オレの心や体は今ここにあるけど、それとは別に、あいつといた場所へ置いてきてしまった欠片のようなものがあるんだと思う。そうやって、オレの一部は今でもあの時代、あの時間の切り取られた場所に残っていて、オレは時折その欠片に想いを寄り添わせて、過ぎてしまった昔を思い出すんだ。
 こういうのを心を残してきたって言うのかな。……ああ、きっとそうだな。これが心を残すってことなんだ。
 あの日から三年の時が経った。これからもオレはオレの時間の中を進んでいくだろう。永遠に時を止めてしまったあいつとの距離は広がるばかりだ。きっと思い出す回数も減るし、記憶も曖昧になっていくんだと思う。
 でも忘れることはない。
 何故なら、あの場所へと留まったままのオレの一部が、これからも生き続けていくからだ。それはもしかしたらひどく無意味なことかもしれない。オレ達が生きてきた時代を、何度も記憶という空間で繰り返す、十七歳のあいつと十八歳のオレ。救いのない世界だ。でも、何故だろう。同時に、眩暈のするほど幸福じゃないかとも思ってしまうのは……」
「気にすることはない。おしなべてみな、そういう者だ。強い、というのは」
「何?」
「強い者は皆そういう風だよ。傷つかない者ではない。心のない者のことではない。辛いことを経験しない者でも、それを忘れた者でもない。強い、というのは、心の中に芯のある牙城を持つ者のことだ……例えば、君のような」
「…………」
「芯は揺らがない。最良な記憶でも、最悪の記憶でも、痛みの記憶でも、苦痛の記憶ですら、それが糧となるべきものなら心の種類は関係がない。心をそこに残し、自分自身と向き合えるような記憶こそが芯というものだよ。君の記憶はそういうものだろう。そして、おそらく君の友人もそうであったと私は思う。違うか? 彼はそういう風ではなかったか? 自分の信念に忠実で、そのために命を掛けた生を貫き、そして殉じた者ではなかったかね?」



 青年は私の言葉を聞きしばらく呆然とした後、覚束ない動きで視線を天井へと彷徨わせた。そのひどく無防備で不安定な瞳は、普段の強気な彼からは想像がつかないほど脆弱なものだった。彼はそののまま、喘ぐように呼吸を繰り返して世界から自身を切り離した。それは青年が、自身の心にある、何か激しい葛藤と向き合っている姿だった。私は黙って彼を待った。
 人の少ない場末の飲み屋で、彼の手にしたグラスの氷がゆっくりと溶けていく。長く静かな時間だった。
 今、私はある一人の人間が変化する瞬間に立ち会っている。その人物がそれまで積み重ねてきた一つの価値観を自ら崩し、再構築する、まさにその一瞬の稀有な時間だ。
 若く、力強い青年の、普段は見せない、しかし確かに彼を構成する一部である弱さや脆さ。そういったものが彼の内側で大きな苦しみ、痛みを伴いながら、力ある何かに変化しようとしている。自分の心の奥底をこじ開け、手を差し入れて正面から向き合う行為は、余人には想像しがたい苦痛を伴うだろう。だが、それを選択し、戦う人間の何と強いことか。その時、人は他に類を見ない独特の輝きを放つ。人を惹きつける圧倒的な魅力を持つ、刹那的な輝きを。
 その荒々しい変化は、外面からでは容易にうかがい知れない。だからこの場所にいる誰もが彼に注意を払っていなかった。無理もない。彼はほとんど微動だにせず、眠ってでもいるかのように静かなままで、彼の内側で何か決定的な変化が起こっていることを知る手がかりはほとんどなかったからだ。唯一、虚空を見据える瞳だけが苛烈な内面の葛藤を映していたが、それに気付いたのは、隣にいる私だけだった。
 おそろしく嗜虐的で贅沢なことだと思った。私は人の苦しみがその煩悶ゆえに放つ、強烈な輝きに魅入られ、味わっていたのだ。それは、本当に心地よい時間だった。
 彼のグラスの中の氷が半分ほど解けた頃、青年は深くため息をついた。
「……そう、かもしれない……あいつは、きっとそうだ。オレはわからないけど。でも……この記憶が、オレにとってそういうものなら……いいと思うよ。そうであれば……」
 言葉が途切れる。今度は数秒の短い沈黙の後、頭を垂れてゆっくりと口を開いた。
「幸せだと思う」
 俯いた顔に特徴的な金髪が掛かり、彼の表情を隠した。しかし、その口調にはそれまでの不安定さはなく、静かだが、確たるものがあった。彼はしばらくそうやってじっと動かなかったが、ふいに顔を上げると目の前にあったカクテルを、一気に飲み干して立ち上がった。振り返って私と視線を合わせた彼は、先ほどまでの脆弱さの一切が払拭された、強靭で精悍な顔をした、いつもの彼だった。
「もう時間だから行かないと。弟が待ってるんだ。あいつ、時間にうるさいから遅れると、すぐに機嫌悪くしちまって」
 そうか、残念だと言うと、彼はニヤリと笑って義手である方の手を上げた。
「じゃあな、元気で。いい映画作れよ、ヘル・ラング」
 次に会う約束もない、数年ぶりの邂逅にしては随分あっさりとした別れ方だった。
 こんな時代だ。おそらく、もう二度と彼に会うことはないだろう。彼もまたそう思っているに違いない。だが、踵を返した青年は一度も振り返らなかった。その潔さは、まるで彼の生き様のようだと思った。







リヒのいないハイエド話
( 2008.03.08 )