076 : 甘くて優しいのがいい





 贔屓目というものかもしれないが、アメリカは本当に利発で聡い子だと、イギリスは彼に出会った時から思っていた。些か単純なきらいはあるものの、こちらの教えたことはすぐに理解し、砂漠に水が染み込むように、あらゆる物事をどんどん吸収して自分のものにしていく。新興国という引け目があるせいか力に貪欲だったが、芯のある正義感も兼ね備え、理想を実現させるだけの行動力もあった。
 彼の長所はそれだけではない。アメリカはとても愛らしい容姿をしていた。柔らかいカナリア色の髪にキラキラと宝石のように光るブルーの瞳がよく映え、誰もが一目で惹きつけられた。多少、ききわけのないところは扱いづらいが、それも子供だということを考えれば、むしろ健全で当たり前だろう。
 本当にこの子は可愛いと折に触れイギリスは考え、その思考に満足するのだった。
「なぁ、イギリス。俺の話を聞いてるかい?」
 返事をしないままでいると、アメリカは盛大なため息をついた後に、年寄りは耳が遠くて困る、と可愛さの欠片もないセリフを口にした。イギリスは眉をひそめて舌打ちした。
 訂正する。可愛かった、だ。
 今は全くもって可愛くない上に、イギリスより縦にも横にもでかくなった。そのくせ、ヒーローだの宇宙人だの、言っていることはいつまでたってもティーンのガキのままで、さっぱり成長を見せない。そういった内面とは裏腹に、力だけは益々強くなり、比例するように世界舞台での発言力も増している。今ではほとんど独壇場と言っても過言ではないほどだ。好き勝手ばかりをする大した問題児、というのが各国のアメリカに対する認識だったし、イギリスもその意見に反対するつもりはない。むしろ彼を面罵する面子の筆頭には毎回イギリスが入っているほどだ。
 まったくどうしてあの可愛い子がこんな風に育ってしまったのだろうと頭痛を感じたイギリスは右手を眉間に寄せようとしたが、手首に走った鈍い痛みが動きを途中で遮った。視線を右手に向けると痛みの走った部分は青く痣になっている。くそっ、と悪態をついた。逃げないから離せと言っているのに、俺の言うことなんて聞こうともせずに、ずっと抑え付けやがったからだ。
 それは思い返せばまるで暴力のようなやり方だった。無体を受けた屈辱が易々とよみがえる。最初から終わりまでアメリカのいいように扱われた記憶は、イギリスの表情を苦々しく歪めさせた。あれは優しさの欠片もない行為だった。案外、はなから優しくする必要はないと思っているのかもしれない。
「イギリスってば!」
 手荒い扱いを受けたせいで、体は鉛のように重い。無理をして動かすつもりもなく、イギリスは視線だけを自分の隣で片肘をつきながらだらしなく寝そべるアメリカに向けた。
 それで、何か言ったのかと促してみせると、イギリスのそっけない態度にも全くめげた様子のないアメリカは、嬉々として続きを話しはじめた。
「それでさ、君のところにもアイスクリーム屋をね……」
 またアイスの話題かとげんなりしながら右から左へと話を聞き流していると、アメリカは、アイスの話をしていたらアイスが食べたくなったと言い始めた。
「買いに行こうか、イギリス!」
 言うが早いか、さっと身を起こしてベッドを降りると、床へ脱ぎ散らかしたままの服に手を伸ばしている。
「俺はいい……」
「君じゃなくて、俺が食べたいんだぞ」
「なら一人で行ってこい、バカ!」
「なんだよ、怒ってるのかい?」
 さすがに苛々とした声を出すと、アメリカは肩をすくめて、まじまじとイギリスの顔を覗きこんできた。眼鏡を掛けていないせいで、鮮やかなブルーの双眸が至近距離から目に入り、イギリスは覿面にうろたえた。
 綺麗な色だ、とイギリスは思った。そういえばアメリカのこの瞳だけは、昔からずっと変わらず、キラキラと綺麗なままだった。惹き付けられずにはいられない、透明度の高い色彩は、熟練した職人が研磨した宝石のように綺麗な瞳だ。ただ、それも時の侵食を拒むことは出来ないようだった。変わらない、無邪気な色の内側から、時折、無慈悲で嗜虐的な支配者の片鱗が顔を出し、イギリスを打ちのめす。濁ってしまったのだろうか。自分でも自覚しないままに世界の澱を拾い上げて、アメリカは堕ちてしまったのだろうか。あの、優しくて純粋だった子供の欠片はもうどこにもないのだろうか。
 自分の思考に潜り込んでいたイギリスを現実に引き戻したのは、唐突に腕にはしった痛みだった。アメリカを睨み上げると、彼は不満そうな顔つきでイギリスの腕を掴みあげ、痣になった手首をつまらなさそうな顔をして睥睨した。
「大げさだぞ。こんな痕ぐらい、すぐに消えるじゃないか」
 だから痛めつけてもいいと? ふざけんな、馬鹿にしやがって。おまえ、いったい何様のつもりだ?
 しかし、口にしたのは、そういう問題じゃねぇよ、という諦めに近い言葉だった。たぶん自分はもうずっと昔から、アメリカに対する色々な物事を諦観しているのだろうとイギリスは思った。もう昔には戻れない。あの、記憶の中の子供には一生触れることが出来ない。だから諦めるしかない。それはきっと絶望的なことに違いない。
「なぁ、イギリス。俺のこと好きかい?」
 唐突な問いかけに訝しげな表情をすると、アメリカは妙に真剣な顔をしてイギリスを覗き込んでいた。
 ああ、ちくしょう、とイギリスは内心で声に出来ない罵りを吐き捨てた。認めるのは随分と癪に障ることだが、アメリカは今では力においてイギリスを圧倒している。イギリスだけではなく、他の国々も易々と凌駕する力を持っている。その力を背景に、何でも自分の好き勝手にやって、世間の非難を省みないことだって度々だ。なのに、時折、今のようにこちらの顔色を窺うような物言いをしてみせる。アメリカはこういうところが子供のようだと思った。自分のいいようにやっているくせに、正しいと肯定してほしがる。間違っていないという言葉を必要とする。自分のすべてを認めて欲しいと理解を懇願する。まったく、我侭で、独善的で恣意的で。本当に何もかもが子供だ。ガキだ。
 だから俺はこいつを突き放せないんだ。
「嫌いじゃねぇよ……」
 でなきゃ誰がこんな屈辱的な扱いを許すもんか。イギリスにしてみれば、最大限に譲歩したセリフだったが、アメリカは口をとがらせて不満そうな顔になった。
「乱暴だなぁ、もっと違う言い方がいいぞ!」
「はぁ? どういうのだよ?」
「甘くて優しいのがいい」
 頭でも沸騰しているのだろうか。いや、それは今更か。
「ああ、もういいよ!」
 それなら俺の好きにするだけさ、と言ったアメリカは、力任せにイギリスの痣になった手首を掴んだ。痛みに小さく呻いたイギリスだったが、すぐにそれ以上の痛みに悲鳴を上げた。
 先まで受け入れていたとはいえ、不意打ちに体を開かれた衝撃は大そうなものだった。堪えようのない声と共に、反射的に逃げ出そうとするイギリスを、アメリカは圧し掛かるようにして抑え込んだ。身動きの取れない体をさらに押し開き、限界までもぐりこむと、小刻みに震えるイギリスを見下ろしながら、アメリカはようやく満足そうに笑った。
「ずっと君とこうしていられるといいのにな」
「……サ…ディスト、かよ…っ……!」
 アメリカから返って来た答えは、明るい、無邪気とも捉えられるような笑い声だった。ちくしょう、と今度ははっきり声に出して罵りながら、イギリスは唇をかみ締め再開されはじめた動きに堪えた。痛いのははじめだけだという言葉に、かっとなる。しかし、容易く怒りに絡め取られたのはそれが真実だと知っているからだった。アメリカの言う通り、徐々に内側から染み出す快楽は自分では止めようがなく、理性は存外あっさりと焼ききれていく。痛みを訴える声がやがて嬌声に変わり、手は目の前の体に縋りつきながら、呼吸や鼓動まで一つになっていく。イギリスは再び自分を好き勝手に弄びはじめた男が、嘲笑するように言った言葉を聞いた。
「我慢しなくってもいいのにさ」
 そんなことしたって、どうせすぐいつもみたいになるんだろう、君は。
 確かに、このまま続けられれば、すぐに自分は音を上げてアメリカの言うことに唯々諾々と従う人形のようになるだろう。よくしてくれと泣きながら哀願するかもしれない。あるいは、もう焦らさないで欲しいと縋りついて自分から貪るように求めるかもしれない。そうやって、こいつはいつだって力で俺を支配しようとする。完全に自分の意のままに操れることに満足する。正義を語る口でイギリスを貶め、痛めつける。そうして俺を支配した気になっている。馬鹿な奴だとイギリスは声を殺して笑った。
 イギリスは知っていた。こうして自分を痛めつけた後に、ようやく理性を取り戻したアメリカが、深い自己嫌悪に陥ることを。イギリスの体に残る痣や傷跡を見ながら、それがとても正義とは言えないことだと自覚することを。自分の行為のあまりの卑劣さに絶望的なまでに悔恨することも、イギリスは知っていた。
 馬鹿な奴。本当に、何て馬鹿な奴なんだ。
 ああ、確かに俺は力じゃおまえに敵わないさ。でもな、だからといってそう易々と強者の地位を譲り渡すほど愚かでもお人よしでもねぇよ。正義しか信じないアメリカ。それなのに、欲望と理性のバランスを取れずに、矛盾ばかり抱える病んだ国。
 なぁ、アメリカ。それでも俺はおまえを守りたかったよ。好きだったから。大切だったから。本当に、心からおまえを愛していたから。おまえに寄り添って、ずっとこの綺麗で純粋な子供を守って生きていこうって思ったこともあったんだ。
 でも、結局そういうのは全部幻想だった。俺に都合の良い、独りよがりのユートピアだった。だから、もうそんな夢みたいな世界は諦めたよ。そして、俺はあの小さくて優しかったアメリカを、自分のいる位置までひきずり落とすことに決めたんだ。
 だから、蹂躙され、痛めつけられながらも、この場において支配する側にいるのはアメリカではなかった。思い通りに事を運び、すべてにおいて満足な結果を得ているのは、手荒く無慈悲に抑え付けている側ではなかった。
 それは間違いなくイギリスの方だった。






( 2008.06.15 )