グーデリアンがドイツ最大の勢力を誇る、古参マフィア《ウイユヴェール》の
トップと会合を取り付けたのは、今から一ヶ月程前のことだった。
同じマフィアとは言っても、《スターダスト》と《ウイユヴェール》では、
その規模も内容も、天地ほどに違いがある。
《ウイユヴェール》の歴史は、二十世紀初頭まで遡る。
ドイツ国内で細々と密輸の仲介業者をしていた商人が、
大戦の影響で個人営業を組合に切り替えたのが、組織の発端だという。
その後、独裁と東西分割の危機を上手く乗り切り、
数々の古参マフィアが繁栄と衰退を繰り返す中、《ウイユヴェール》は手堅く組織の拡大を続け、
現在に至る。
その《ウイユヴェール》のトップの代替わりがあったのは、今から数年前のことだった。
世襲が基本となっている《ウイユヴェール》は、トップの入れ替えがあっても、
それほど大規模な組織改革があるわけではない。《ウイユヴェール》
は世代交代直後も比較的安定した勢力を保っていられる、数少ない組織だった。
もっとも、安定の理由は世襲だけでなく、経済基盤が磐石だという背景もある。
《ウイユヴェール》はシュトゥットガルト近郊に白金鉱山を持っており、
それを利用して表世界にも合法企業の仮面を被りながら活動展開をしていた。
白金の産出量は世界規模でみても少なく、単価が高いので利ざやが稼げる。
また、近年排気ガスの浄化触媒としての需要も高いことから、鉱山は《ウイユヴェール》
の重要な資金源となっていた。
現在の《ウイユヴェール》のボスは、グーデリアンと同世代の青年だと聞く。
相当のやり手だという噂だが、実際はどうだろうか。そこのところの見極めもしてやろうという
つもりで、今回ここまでやって来たのだ。
もの思いに耽っているうちに、扉の向こう側で音がした。
グーデリアンは自身の内側へと向けていた意識を現実まで引き上げ、扉へと視線を向けた。
重量のある瀟洒な扉が開き、淡いブラウンの髪を逆立てるように整えた、
背の高い青年が護衛二人を後ろに従えて入ってきた。おそらく彼が《ウイユヴェール》
のボスだろうという見立てを肯定するように、青年は片手を挙げて二人を壁際に待機させた後、
グーデリアンの前まで歩み寄ってきた。
グーデリアンは無言で青年を上から下までじっくりと観察した。
糊のきいた白いシャツのボタンを律儀に襟元まで留め、眼鏡をかけたインテリ風の装いは、
マフィアのボスというより、金持ちの御曹司と言った方がしっくりきそうだ。
唯一、肩から下げているAKだけが、彼をマフィアの人間だと証明していたが、
そのAKも、ゲストを警戒してというよりは、
ちょっとしたアクセサリーを身につけているだけに見えた。つまり彼は穏やかに見えたのだ。
実際に青年と会って、ようやくグーデリアンは《ウイユヴェール》という名の由来を理解した。
おそらく彼の前のボスも、そのまた前のボスも、組織の名が示す通り、
綺麗なグリーンアイズだったのだろう。
本当に綺麗な目だ。売ったらいくらになるだろうか。そんなことを考えながら手を差し出す。
「オレはジャッキー・グーデリアン。突然の訪問で悪いな。会ってもらって感謝してる」
「フランツ・ハイネル」
青年は短く名を名乗ると、躊躇うこともなくグーデリアンの手を握った。
ハイネルの意外な警戒心の薄さにグーデリアンは思わず笑った。
「無防備だな。オレが軍に雇われた人間だったら、どうすんの?」
握手した途端に、ぐさりと刺したら?
からかうように言ったが、ハイネルは軽く首を傾げ、視線だけで後ろの護衛を示した。
「どうもしない。彼らが反撃するまでだ」
「死んじまったら手遅れだろう。《ウイユヴェール》のボスは、あんただけなんだから」
「組織は私がいなくても立ち行く」
「いつ死んでもいい、って言ってるように聞こえるぜ」
「死ぬ覚悟は出来ているが、死ぬつもりはない」
「そうは聞こえなかったな」
ハイネルは軽く首を振ると、億劫そうに口を開いた。
「昨晩、午後八時。海岸沿いのリゾート地で軍とマフィアの市街戦があった」
ああ、とグーデリアンは頷く。かなり大規模な抗争だったなと惚けると、
ハイネルは視線を上げて一瞬だけグーデリアンを睨みつけたが、すぐに逸らした。
「常駐していたのは陸軍第一師団。そこへ地元マフィア《スターダスト》が奇襲をかけた。
戦闘は無関係の人間も巻き込んで決行された。今、報告されているだけでも民間人三十名、
軍関係者二百名の死者が出ている。負傷者を含めれば被害は甚大だろう。
しかし、《スターダスト》の死者はたったの十数人程度に過ぎない。街のチンピラ風情が、
ろくな戦闘訓練も受けていないにも関わらず、軍相手にたったそれだけの損失しか出していない。
奇襲を仕掛けたとはいえ、市街戦は明け方近くまで続いた。正味九時間だ。
第一師団は正規の軍事訓練を受けたプロ。戦闘初めならともかく、二時間もあれば態勢を立て直し、
反撃出来るだけの実力は充分にある。だが、そうしなかった。出来なかったからだ。
《スターダスト》は第一師団の幹部が泊まっていたホテルをほぼ同時刻に襲っている。
ほとんどの幹部とその部下は、戦闘開始から半時間のうちに殺された。《スターダスト》
は殺した幹部の首をホテルの最上階から吊るし、彼らの死体を効果的に見せしめに使った。
自分達に指令を出すはずのトップが無残な死体となって晒されたんだ。
兵役義務や金で集められただけの一般兵の戦闘意欲を殺ぐには充分な効果だったろう。
《スターダスト》は裏道まで知り尽くした地元マフィアだ。地の利は圧倒的に彼らにある。
ライフルやサブマシンガンで一斉掃射をしては引くという
散発的な戦闘で軍の兵力を確実に削いでいき、
明け方近くまでには常駐していた第一師団はほぼ壊滅。
わずかに残った兵士も撤退を余儀なくされた。
軍は今、極度の混乱状態にある。以前から続いている、内部の権力闘争に加えて今回のテロだ。
一個師団が使い物にならなくなった痛手は大きい。
これ以上外部からの揉め事はごめんだというのが本音だろう。
《ウイユヴェール》は軍と対立しているが、
同時に国境西南地区のテロと隣国の侵略の抑止力も兼ねている。
他の組織に迎合しているわけでもなければ、
積極的に軍を敵にまわそうとしているわけでもない。
軍にとって我々は、自分達のテリトリーに不干渉ならば、
見て見ぬ振りをしてもいい、という相手だ。
だから彼らは私を積極的には殺そうとはしない。少なくとも、
軍内部の覇権争いが一段落するまでは、手出しはしないだろう。
だからおまえが軍の関係者だとしても、私を殺さない」
なるほどね、とグーデリアンは笑った。
「でも何もあんたの命を狙ってんのは軍だけじゃねぇぜ」
例えば《詩的正義》とか、と挙げた組織は《ウイユヴェール》にとって目下抗争中の
やっかいな相手だった。ハイネルはじっとグーデリアンの言葉に耳を傾けていたが、
ふいに腕を組み、深々とため息をついた。
「おまえは私を殺さない。おまえの目的はそこにはない」
「オレの目的なんて、あんたにわかるわけ?」
ハイネルはじろりとグーデリアンを睨んだ。
「不思議な話だと思わないか?」
「何が?」
「昨日のテロの話だ」
「別に」
笑い出しそうになるのを堪えながら、グーデリアンはとぼけた。
ああ、笑い出しそうか。そうとも。オレはおかしくて、嬉しくて仕方がない。
目の前にいる男が自分の想像以上かもしれないという高揚感に、理性が焼き切れてしまいそうだ。
「軍の幹部クラスのホテルは最高機密の一つ。おまけに各幹部は数箇所
のホテルに点在して泊まっていた。今回のような奇襲を受けた時のリスクを分散するためだ。
護衛の兵士も高い戦闘能力を持つ生え抜きが配置されている。
これを無力化させたのが《スターダスト》の勝因。つまり『情報』と『武器』だ。
彼らは幹部クラスの泊まるホテルを客室単位で正確に把握していた。
使用した武器も普段使っているような廉価品じゃない。
市街戦の連中にいたっては暗視装置一式まで持っていたという報告もある。
だが何故か。ろくな資金もない、街のチンピラ集団が、
なぜそんな精度の高い情報と高価な武器を手に入れることができたのか」
「何故だと思うんだ?」
「《スターダスト》は『軍』の支援を受けている」
物憂げな瞳を、その時だけはギラリと輝かせ、迷いもなくきっぱりと言い切ったハイネルに、
グーデリアンは思わず声もなく笑った。ああ、やっぱりと痺れるような陶酔が全身を襲う。
この男は噂通り。いや、それ以上だ。
「第一師団は軍内部でも珍しく高潔で理想主義者の多い集団だ。
高所得者優遇の現税体制の見直しと、低賃金労働者の支援を打ち出す社会国民党を指示している。
師団内部の団結と戦闘力も高い。買収の通じない高い倫理もある。
だがそれは軍にとっては都合の悪いことでもあった。何故か。
軍の現在の主な資金源は現体制で甘い汁を吸っている企業と、
それらに投資するファンドだからだ。第一師団の思想は他の師団と真っ向から対立する。
それでも第一師団が固い結束と統率を保っていられるのは、
師団長である人物のカリスマに依るところが大きい。知っているか。
ブーツホルツという男だ。階級は中将。昨日から行方不明で生死の確認は取れていない。
だが、おそらく無事だろう。彼を殺せば真っ先に見せしめにするだろうからな」
ハイネルはシャツのポケットから束になった写真を取り出し、机の上にばらまいた。
それは、昨日の戦闘の写真だった。ホテルの、悪趣味な晒し者にされた哀れな軍人の写真だ。
「確かに、いないな。この中には」
一枚一枚丹念に確認した後で、グーデリアンは同意した。
「生き延びているのだろう。彼自身、優秀な兵士だという話だからな。とにかく、
彼は軍人としても人間としても尊敬に値すべき人物だ。横領や買収のはびこっている軍内において、
彼のストイックな潔癖さは、それだけで内外の共感と団結を得られる。
おそらく、ブーツホルツ自身に他意はなかったのだろう。出世を渇望するタイプではない。
だが彼は軍内のパワーバランスに頓着しなかった。自分がどういう位置にあるかを知らなかった。
彼自身がどう思うかではなく、どう思われるかを理解していなかった。理想主義者の限界だ。
悪いわけではない。だが、愚かだった。もちろん、過去形で言っても差し支えないほど、
今では本人が痛感しているだろうがな」
だが、とハイネルは続けた。
「彼はこのまま終る男ではない。しばらくは無理だろうが、いずれ態勢を整え、反撃に出る」
「《スターダスト》に?」
「わからない。だが今回のカラクリを見抜けないほど底の浅い人物ではない。
おそらく軍にも《スターダスト》にも、何らかの報復はあるだろうな」
《スターダスト》も爪の甘い仕事をしたものだと言うハイネルの言葉に、
グーデリアンは渋面を作った。嫌味だ。これは絶対嫌味に違いない。
「まあ、それでも、今回のテロは概ね成功だったと言えるだろう。
だが《スターダスト》にとって正念場はこれからだ」
「というと?」
「軍は《スターダスト》を利用しているが、それも第一師団粛清までの話。
ブーツホルツのいない師団では、そう遠い事でもないだろう。
そこから先、軍にとって《スターダスト》は用済みとなり、協定は解消される。
彼らが軍と手を切った後でも、今の勢力を維持するには、安定した資金と兵力が必要になる。
《スターダスト》は十代の少年が主戦力のチンピラ集団だ。
ストリートチルドレンなら掃いて捨てるほど増え続けている現状で兵力の供給は問題ない。
彼らに必要なのはチンピラを兵士にするための軍事訓練と、武器調達のための資金だ。
そこで彼らは資金提供を受けられる相手を探す。
真っ先に考えたのはおそらく戦争ファンドだろう。だが、彼らはビジネスとしての投資しかしない。
現在の《スターダスト》には安定した組織維持の見通しがない。比較的需要の高い麻薬や人身売買、
密輸といったルートはすべて既存のマフィアにおさえられている。とすれば《スターダスト》
が用意できるのは傭兵としての兵力だけだが、まだ育ってもいない兵力を当てにするには
リスクが高いとファンドは考える。今の《スターダスト》
に投資するのは金を溝に捨てるようなものだ。
ファンドが頼れないとなると《スターダスト》が次に考えるのが、
同じマフィアとの同盟だろう。そこで《ウイユヴェール》が出てくるというわけだ。
我々が先の『四月革命』で手持ちの戦力を大幅に減らしていることは周知の事実。
だが一方で、供給の安定した鉱山に依る経済基盤を持っているため、潤沢な資金がある。
《ウイユヴェール》は兵力が欲しい。そこで《スターダスト》は人を提供する。
チンピラ程度の質だが量はある。《ウイユヴェール》としても身内の血を流さないで
使える兵力はありがたい。見返りとして《スターダスト》は資金提供を受ける。
武器を調達し、軍事訓練を施す。どちらにとっても弱い部分を補える良い同盟になる」
腕を組み、目を伏せながら淡々と語っていたハイネルが突如グーデリアンに向き直り、
正面から見据えた。そして口の端を上げて不適に笑うとハイネルは言った。
「《スターダスト》は目的もなく衝動的なテロを繰り返すチンピラ集団だと思っていたが、
トップは意外にそうでもないようだ。我々との軍事同盟。
それが目的だな、ジャッキー・グーデリアン」
グーデリアンは肩をすくめて両手を挙げた。
「正解。オレが《スターダスト》のボスだ。あんたに会った理由も察しの通り」
面会には《スターダスト》の使いだとしか伝えていなかったのに、何で分かったんだと聞くと、
ハイネルはグーデリアンの髪を指差した。
「カナリア色の髪は、ここら辺では少ない。隠す気もなかったんだろう?」
グーデリアンは苦笑した。それも正解と内心で付け足す。
「こちらとしても《スターダスト》とは一度じっくり話をしたいと思っていた。
だが生憎、今は時間が取れない」
グーデリアンは頷いた。世間的には一応『四月革命』は休戦で合意したとされているが、
実際のところ、現在でも《ウイユヴェール》と《詩的正義》の戦闘は断続的に続いている。
「必要なら格安で部下を貸し出すぜ?」
「申し出はありがたいが、今のところはまだ必要ない」
ガードが固いねぇと嘆息すると、ハイネルは笑った。
「今日会ったのは顔見せと意思確認のためだ。《ウイユヴェール》としては、
そちらの提案は一考に値すると考えている。日を改めて今の話を具体化したい。それでどうだ?」
「オーケイ。なるべく早く、オレの気が変わらないうちに頼むぜ」
「了解した。出来る限り早くに都合をつけるとしよう。詳細が決まり次第、リサを通じて連絡する」
何っ、とグーデリアンは目をむいた。
「リサ…ってあのインタビュアーのリサちゃん?」
《ウイユヴェール》の子だったのかと言うと、ハイネルはそうだと肯定した。
「マジかよ!」
絶対民間人だと思ってたのにと頭を掻き毟る。あわよくば、と不埒なことを考えていたが、
こうなると実行しなくてよかった。
「じゃあハイネルもしかして、オレのこともリサちゃんから聞いてたわけ?」
ハイネルは目を細めて、さあ、とはぐらかした。
「なんだよー、くっそ騙された!」
地団太を踏むグーデリアンに、ハイネルもつられたように嘆息した。
「騙したわけではない。リサには私から何かを言って、おまえに接触させたわけではなく、
向こうが自発的に《スターダスト》がおもしろいことになっていると報告してきたんだ。
あれは昔から手に負えない女でな。スリルのない人生などごめんだとばかりに危険に首を突っ込む」
「あんたがスパイしろって命令したんじゃないの?」
「違う。むしろ私としては安全なところでじっとしていてほしいというのが本音だが…」
ハイネルは眉間に皺を寄せ、諦めたように首を振った。
「私の言うことなど聞こうともしない。リサは自分の信念にのみ、忠実な女だ。
一本筋の通っているという点では賞賛に値するが、こちらの心労にもたまには気を使ってくれと
言いたい。まったく、ただでさえ問題が山積みだというのに、
頭の痛くなることばかりを持ち込んで‥‥」
ぶつぶつ、と最後には愚痴のような言葉になったハイネルにグーデリアンは意表をつかれた。
そこには先までの隙のない男の面影は微塵もなく、
まるで子供相手に手を焼く過保護な親の姿に見えた。これがあのハイネルか。
怜悧冷徹と噂の《ウイユヴェール》のボス。
「あんた、マフィアには向いてないね」
思わず口にしてから、やばいと息を呑む。これは随分と失礼な言い方ではないだろうか。
だが、ハイネルは視線だけを上げてグーデリアンを見た後で、憂鬱そうに言った。
「私もそう思う」
やたら物憂げな男だ、というのが、ハイネルに対する第一印象だった。
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