理瀬の苦労に見合った程度かどうかは疑問を残すところだったが、彼女の努力は多少、
全体的に見てほんの些細なものではあったが、確実に聖の心情に変化をもたらす効果があった。
「鬱陶しかったんだ」
「‥‥聖」
放っておいてほしかったのに、と聖は言った。
「でも、結果的にはそういうのが良かったんだろうね。あの頃は理瀬の言う通り、
何にも興味が持てなくて、世界と僕との間には薄い透明な仕切りがあるような気がしていたんだ。
だから理瀬のことを『鬱陶しい』って思ったのは、すごく良かったことだと思うよ。
だって、それは理瀬が僕の内側へ干渉してきたことの証だったから」
聖の内面に出来た小波は、本人すら思いもよらないほど、振幅の大きな感情を引き起こした。
それが無関心の次に来たもの、「敵意」だった。
聖の加減を知らない怒りや憤りは、理瀬にも同じ力積で逆のベクトルを持つ感情を呼び覚まし、
二人は激しく対立した。
苛烈で凄絶な、精神の斬り合いと言っても過言ではない、
やりとりを始終繰り返しながら過ごす一日はひたすら長く、毎日の任務が終わる頃には、
理瀬も聖もひどく疲弊し、ぐったりとしていることが常だった。こんな毎日では
早々におかしくなってしまうと理瀬は思った。しかし互いに自分から引くような
穏やかな性分ではなく、憎しみにまで膨れ上がった感情は、相手を傷つける方向へと出口を見つけ、
発散された。
しかし、心の安定を損なうほど容赦がなく、むき出しで本能的な感情のやり取りは、
聖の奥深いところにある痛みを、知らず知らずのうちに曝け出していた。
理瀬は少しずつ彼の傷に触れ、心の奥底に根をはる深い苦悩を感じ取った。
そしてある日、唐突に、理瀬は聖の孤独の正体に気付き、愕然とした。
聖は生きることを望んでいない。彼が今生きているのは、彼自身がそのことに
気付いていないからだ。
人をそんな深い絶望に落とし入れるものは何だろうと理瀬は思った。
聖の持つ、闇の正体を彼女は知りたいと思った。
確かに聖は、理瀬の思った通り、苦しみの深淵を歩くような生き方をしていた。
彼の存在は常に取り返しのつかない後悔と共にあり、
痛みと空虚を抱えながら絶望に身を浸して過ごす毎日だったのだ。
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