「暗夜行路」本文サンプル






「もっと早くに殺しておけばよかったと、ずっと思っていたが‥‥」
 こういう展開になるとなと言ったルーファウスは、深くソファーへと身を沈めた。手にした資料をばさりと机の上へと放る。乱暴な動作をするとまだ体の節々が痛むのは、先日対峙したクラウドに斬りつけられた傷跡がまだ完全には治っていないからだ。
 忌々しい奴だとルーファウスは目を細めた。だからもっと早くに殺しておきたかったのに。ずっとそう思っていたが、今は少し違う。
「結果的に今の展開はあなたにとって都合の良いものになりました。あの時点で彼を殺していれば、おそらく我々が打てる手は今よりもずっと少なく、リスクの高いものになっていたでしょう」
 ツォンの言葉に、ああ、と物憂そうな返事を返したルーファウスは視線を上げて彼を見た。ついこの間までこの社長室の椅子に座っていたルーファウスの父親はもうこの世界のどこにもいない。今、この椅子は自分のためだけにあるものだ。そして、おそらくプレジデントにも今の自分に向けているのと同じ慇懃な態度を取っていたであろう男は、主が変わってからも態度には何の変化も見せずに、ルーファウスにも同じだけの慇懃な接し方をしている。忌々しいほど冷静な男だとルーファウスは思った。ツォンはプレジデントが殺されたと知った時にも、そうですかと簡単な返事をしただけで、すぐにルーファウスが次の社長になる段取りを整えはじめた。彼は何も聞かず、詮索すらしなかった。まるでそうなることが最初からわかっていたようだった。
 私に何の疑問も持たなかったのだろうか、とルーファウスは考えた。この絶妙なタイミングでプレジデントが死んだことにツォンは何の疑問も感じなかったのだろうか。確かにプレジデントの死はセフィロスというイレギュラーな男がもたらした幸運だったが、そうでなければ近いうちにルーファウス自身が手を下していただろう。疑われればグレイゾーンよりもかなり黒に近い側にいる自分だ。だからこそ、ルーファウスはツォンの行動が不可解だと思った。ツォンがプレジデントの死をどう思っていたにせよ、ルーファウスの決定的な弱みを握れる立場にいるにも関わらずそれを利用しないことが解せなかった。
 ヴェルドの件で借りがあるからだろうか。それとも、もうすでにルーファウスの弱みを多く握っているからか。
 ルーファウスは大げさに嘆息した。まあいい。この男の思考など考えたところでどうせわからない。ツォンが次にどういう手を打ってくるかは知らないが、今のところ彼は敵ではない。というよりその逆だ。ルーファウスが唯一信頼出来る人間は、この腹の内の読めない男しかいない。そう思いツォンを見ると、彼は相変わらず何の表情も見せないままだ。
「これから、どうすればいい」
 おざなりに聞くと、ツォンは目を細めた。
「私の意見が必要ですか?」
 暗に必要ではないと確信している口調だった。全く、癪に障ることだがその通りだ。ああ、必要ないさ。確かに私は誰の意見も必要としてはいない。ツォンはわかっていますと言いたげに頷いた。
「私はあなたの命令に従います。タークスも同様です」
「オレがヴェルドを陥れようとしてもか?」
 試すような皮肉な言い方だったが、ツォンは動じることもなく間髪いれずに、お望みでしたらと言葉を返した。ルーファウスは眉を寄せ、今度こそ本当に舌打ちをした。
「つまらない反応だな」
「あなたは時折、子供のようですね」
 剣呑な視線で睨みつけるが、ツォンは平然と見返した。ガラスのような黒の瞳にはやはり何の感情も映っていない。
 ふと、ツォンは身を乗り出し、机の上に手を付いた。机を挟んだ向かい側にいるルーファウスの方まで身を乗り出し、顔を近づける。黒く長い髪が一房すべり落ちたと、どうでもいいようなことを思う。
「信用しなさい。私はあなたを裏切らない」
 だが、無条件でその言葉を信じられるほど自分はもう幼くはないのだとルーファウスは嘆息した。





いろんな人が各々、たくさん不幸で、少しだけ救われている話。