それは本当に不思議な事だったが、ツォンは内面の猛々しさとは裏腹に、
一見したところ扱いやすく、与し易いように見える男だった。
容姿は悪いわけではないが、そう人目を惹くほど端整でもない。
むしろ印象に残りにくい目立たない方だと言えるだろう。
唯一、その黒髪は東大陸の出身にしては稀有なものだったが、
それも今では取り立てて珍しいとは言えなくなってきている。
というのも最近のミッドガルは各地から多種多様な人々が集い、
まさに人種の坩堝といった様相を示しており、西大陸から彼と同じような色の髪を持つ者が
何人も出てきているからだ。
長身ですらりと伸びた肢体はスーツをまとえば細身にも見えるものだったが、
日々鍛錬を怠らない体躯は頑強な部類に入るだろう。表情は冷たく凍っているようで、
感情を一切表には出さない。ストイックというよりは淡白という表現の方が相応しく、
人らしい感情が欠落しているようにも見える。
だが実際はそうでないことをヴェルドは他の誰よりもよく知っていた。
自分のデスクで上がってきたばかりの報告書に目を通していたヴェルドだったが、
文字は意味を成して頭に入って来ない。部屋は静かで、この場所には自分一人しかいないような
錯覚に陥ったが、机一つ分離れた場所ではツォンが黙々と自分の仕事に没頭していた。
組織分類上は総務部に位置するとはいえ、タークスが実際のデスクワークにつくことは少ない。
主に戦闘を伴った現場任務を主として各地を飛び回り、机に座るのは報告書をまとめる時だけという者が大半の中、
ツォンだけは逆に本部勤務が日常だった。
最もその仕事内容は、やはり総務部としては似つかわしくない剣呑なものだ。
すべてのタークスに指示を出す指揮系統としての役割を彼に引き継がせてからというもの、
戦略指示からサポート、対外的なネゴシエートまで、ツォンはほとんど誰の助けも必要とせず、
一人でこなしている。膨大な仕事量にも関わらず手落ちはほとんどないといってもいい。
内面でどう思っているかはともかく体裁を繕うことにも如才ない。
ヴェルドの後継としてはこれ以上の逸材は望めないだろうという評判通り、彼は優秀だった。
顔を上げてツォンを見ると、彼はキーボードを休みなく動かしていた。
手元には細かな数字が書かれた資料が置いてある。時折それを横目で確認しながら
手を止めることもない。相変わらず表情はなく、ディスプレイを追う瞳は
ガラスのように無機質だった。
そういった生の気配を感じさせないところが彼を容易く見せているのかもしれないと
ヴェルドは思った。それはツォンの本性を知っている自分ですら、
人形のように無抵抗に組み伏せることが出来るのではないかと錯覚しそうになるほどだ。
実際、タークス入りをしたばかりのツォンを初めて目にした時にはヴェルド自身、
彼をそう判断しそうになった。タークスとして様々な性質の人間を見てきて、多少は人を読むことに
自信のあったヴェルドですら欺かれそうになるほど、ツォンは内面を隠すことに長けた人物だった。
唯一、赤毛が特徴のスラム育ちの若者だけは、当初からツォンを警戒しているようだった。
ほとんど野生に近いといっても過言ではない、レノの危機を察知する能力には驚異的なものがある。
それは本能と同義であるだけに、他の誰よりもツォンの持つ猛々しさに気付いていたようだった。
しかしそんな手強い青年ですら、ツォンはあの手この手でいつの間にやらタークスに組み入れて
しまっていた。そしてレノが自身を守るためのみに使っていた才能を、
自分とタークスの益に使えるように仕立て上げたのだった。
容易いように見せ、実際には誰よりも強かで狡猾。
それがツォンだった。
ふとツォンが眉根を寄せた。何か問題でもあったのか、手を止め、
ディスプレイを食い入るように睨めつける。
瞬間、ヴェルドはツォンのもう一つの素顔を思い出した。
冷ややかで凍ったような瞳は時に信じられないほど熱を帯び、不安定に揺れる。
内側で暴れる手のつけられない情に翻弄され喘ぐ姿は、普段の彼からは俄かには想像し難かった。
だが、それも紛れもない彼の一面だった。誰にも膝を屈することのしない男が
ヴェルドにだけ見せる、純粋で従順な側面だった。
ヴェルドはツォンが自分に寄せる想いに気付いていた。
それは彼の性質からすれば随分と不似合いなほどに一途なものだった。
他の事には冷静で計算高く物事を判断するくせに、想いを言葉にする時だけは、
まるで十代の子供のように危なっかしい。手を取り触れてやる度に身を震わせ、
こちらが戸惑うほどヴェルドの言動に反応する。
どういう風の吹き回しか知らないが、ツォンはヴェルドに惚れているようだった。
それを酔狂な趣味だと笑い飛ばすには、自身の行動も不可解だった。
ヴェルドはツォンを抱いていた。
しかもそれは、考えていたよりもずっとすんなり始まった関係だった。
きっかけはとても些細なことだったような気がする。今ではよく思い出せない。
曖昧な記憶の中で唯一鮮明に覚えているのは、
彼が苦しそうに自分から視線を逸らした事だった。
感じたのは憤りだった。何故目を逸らすのかと、ヴェルドはツォンを強引に自身に向き直らせた。
瞳の奥に見たのは激しい情動だった。ヴェルドが今までに見たこともないような
荒れ狂う熱だった。
それを味わってみたいと思ったのかもしれないと、後から冷静になって考えてみるが、
それが真実かどうかは今でもわからないままだ。はっきりとわかっているのは
自分の取った行動だけだった。
瀬戸際で自身の感情を抑え込んでいたツォンの背中を押したのはヴェルドだった。
乱暴に抱き寄せ口付けると、ツォンは初め、驚愕と混乱、あるいは自我からかろうじて
切り離されていた理性でヴェルドを拒もうとした。
おまえが望んだことだろうと口にしたのは、何もそれが真実だと知っていたわけではない。
その時はただ、ヴェルド自身、自分でもよくわからない熱に浮かされて、
どんな理由をつけてでも彼を抱きたいという、勝手で傲慢な思考しか浮かばなかっただけだ。
だがツォンはヴェルドの言葉を聞いた途端に抵抗を放棄した。
彼が震えながら告げた肯定の返事はヴェルドにとっての免罪でもあった。
後はもう互いに言葉もなく体を繋げるだけで、
それは夢でも見ているように現実感のない行為だった。
そういう関係になってから気付いた事がいくつかある。
繰り返し彼を抱き、今に至るまで、ツォンは確かにヴェルドだけを想っているようではあったが、
だからといって彼がヴェルド意外の人間と関係を持っていないかと言えば
そういうわけでもなかった。
一度だけ、あるいは数回と、それは限定されてはいたものの、女と、
それと意外なことに男を相手にしていることもあるらしい。
否定するでもなく随分あっさりと認め、適当に処理をしていますからと、
にべもない冷淡さで自身の行為を評したツォンは、確かにそれ以上の想いは
欠片も抱いていないようだった。
だから初めはそんなものかとそれほど気になっていたわけではなかった。
ふと疑問が脳裏をよぎったのも、始めはただの好奇心だったのかもしれない。
他の誰かを相手にしている時のツォンはいったいどんな風なのだろうか。
自分に見せる顔とはまた違った一面を晒しているのだろうかと。
その考えはヴェルドの気分を随分とささくれ立たせるものだった。
それを自覚するに至ってヴェルドは愕然とした。
自分は他の誰かが彼を所有することを望んではいなかった。
だがそれは愛しているからなどという甘く優しい理由ではない。
そうだ、これは愛ではない。
少なくとも、ツォンが自分に寄せる好意に同じだけの気持ちを返せるわけではない。
それなのにヴェルドは彼を所有したがっている。
ふいにツォンの表情のない顔をめちゃくちゃに歪ませてやりたい衝動に駆られた。
方法は何でもかまわない。苦痛でも快楽でもどんな種類のものでもいい。
ただ、彼の心を踏みにじり、二度と癒えることのない深い傷をつけて、
ヴェルドが絶対であるという事を思い知らせてやりたかった。
手っ取り早く抱いてしまえばいいだろうか。
いつものように慣らすこともせずに手酷く扱えば案外簡単に篭絡出来そうだ。
それとも、さんざん焦らした後で何もせずに放り出してしまうのもいいかもしれない。
いや、それより殴りつけてやった方が効果的だろうか。
気を失うまで暴力を振るって、彼の従順な瞳が恐怖で歪むところを見るのもいいだろう。
それが信頼していた人物によって与えられる苦痛だとしたら、あいつはどんな顔をするだろうか。
そんなことはごめんだとばかりに、抵抗するだろうか。
だが、まだツォンに負けるほど鈍っているわけではない。
暴れる体を押さえつけて好きなだけ辱めることだって出来る。諦め、
抗う気力もなくしたところで愛していると言葉を与えるのもいい。
そうすれば彼は最後の希望に縋り付くように簡単になびくだろう。
そうやって手酷く蹂躙してしまえば、他の誰かに目を向ける余裕もないほど
簡単にヴェルドしか見えなくなる。今よりもっと確実に自分のものになる。
二度と他の誰かと体を重ねようなどとは考えもしなくなる‥‥。
いったい俺は何を考えているんだ。
自身のあまりの身勝手な思考にヴェルドは深々とため息をついた。
これではまるでツォンを憎んでいるようではないか。
ああ、確かに俺は彼を愛しているわけじゃない。だからといって憎んでいるわけでもない。
むしろ、公私共に、最も信頼出来る男だと思っている。それなのに思考は出口のない隘路のように、
彼を痛めつけ、泣かせることから抜け出せない。
ツォンを抱いたのは間違いだったとヴェルドは思った。それは自分にとっても
彼にとってもあまり良い結果にはならない行為でしかなかった。
だが、とヴェルドはギリっと音がするほど奥歯をかみ締めた。
だがそんなことは初めからわかっていたはずだ。
ツォンは、少なくとも彼を最初に抱いた時点では、自分の想いを抑え込もうとしていた。
表情のない顔の奥に感情を深く沈め、そっとやり過ごそうとしていた。
それを暴き立てたのは他でもない、ヴェルドだった。
それなのに俺はツォンの手を取ることもしない。都合よく、
自分のいい時に利用しているだけではないのかと責める心があるのは、
そういった自身の思考がどこかで真実を含んでいると知っているからだ。
記憶に鮮明に焼きついているのは、泣き出しそうな顔で喘ぐ男の姿だった。
だが、ツォンは決して泣きはしない。どれほど手酷く痛めつけた時でも
彼は決して泣くことだけはしなかった。
それがまた許せないのだとヴェルドは思った。
「ヴェルド主任」
顔を上げると記憶とはまるで逆の、能面のように表情のない様相でツォンが目の前に立っていた。
「先日の任務の件ですが‥‥」
手にした書類をヴェルドに見えるように指し示し、細かく数値化されたデータの詳細を語る。
だが、ヴェルドの耳にツォンの言葉は留まらず、素通りしていった。
食い入るように目にしていたのは彼の手だった。長身に相応しく、長く伸びた指に、
黒髪とは対照的な白磁のような肌。この手が冷酷に人を破滅に陥れ、
同時に狂ったようにヴェルドを掻き抱くのだ。
衝動のままに手を伸ばして腕を掴む。言葉が途切れ小さく息を呑む音がした。
ツォンと視線を合わせる。戸惑ったような色が微かに見える瞳だけが
内面をかろうじて覗かせていたが、それ以外は変わらず表情がない。
ああ、痛めつけてやりたい。
その欲求は抑え難かった。ツォンを抱きたいと、
それは理性など全く利かない荒々しいものだった。
「今日は早く終われそうか?」
小さな震えが掴んだ手から伝わった。それは、
そうと知らなければ見落としてしまいそうなほど微かな反応だった。
「‥‥終わらせます」
諦めたような声。だがその奥に隠された情欲にヴェルドは気付いていた。
「鍵は開けておけ」
はい、という返事を待った後にヴェルドは痕がつくほど強く握り締めていた手を離した。
絡んだ視線が外れ、一瞬だけツォンの表情のない顔が、何か鋭い痛みにでも耐えるように歪んだ。
ヴェルドは口の端を上げ、声を出さずに笑った。
どうしようもなく、狂おしいほどにツォンはヴェルドを求めている。
と同時に、それと同じくらい切実にヴェルドもツォン必要としていた。
だがやはりそれは愛ではないのだろうと、ヴェルドは思った。
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