神の与えた器






 彼女はタークスという後ろ暗い組織に属する人間にしては、 信じられないほど鮮烈な個性を持った女性だった。 それはとても眩しく感じられるものだったので、シンは当初、 彼女のことを疎ましいと思ったほどだ。
 ケイ、というのが彼女の名前だった。
 良家の出らしく、物腰も言葉遣いも洗練されていて風格があり、 何をやるにしても自信に満ちて屈託がない。だがそれが嫌味にはなっておらず、 むしろ好意的に見られるところが、彼女の不思議な魅力だった。 他のタークス達からの信頼も厚く、本人も頼られることを好んでいるようだ。 だから彼女の周りにはいつも人が集まっていた。その中心で、 ケイは大輪の花のような存在感を持ち、常に明るく笑っていた。 それがまた、彼女にはよく似合っていたのだ。
 シンが思うに、神は自分がこれと思った人間に対して最大限の祝福を与えることに、 些かの迷いもないのだろう。容姿も才能も環境も、およそ人が成功するために欲するすべてのものを 用意し、ただ一人の頭上に乗せて、万能の杖を振るうのだ。
 だが一方で、すべての祝福を取り上げられる人間もいる。 そうなったが最後、唯一与えられた命という名の器だけを持ち、 抜け殻のように生きていくしかない。
 しかしそれも仕方のない事なのだろう。何故なら祝福には定数があり、 それ以上にも以下にも出来ないからだ。誰かが受け取れば、誰かが取り上げられる。 すべてはバランスだ。
 だからある意味では、自分達は対のような存在だと言えなくもなかった。
 彼女には関わらないでおこう、とシンは思っていた。 それが自分にとっても彼女にとっても最良だろう。



 シンは孤児だった。絵に描いたような天涯孤独で、親の顔も知らない。 気がつけばストリートチルドレンの一員として、他の子供達と同様に路上で生活をしていた。
 彼が子供の頃、世界は争いの只中にあった。それが今世紀最大規模の戦争だったと知るのは、 まだずっと先の話だ。だが不幸な時代に生まれたとは思わなかった。 なんとなれば、世界というものは混乱が常だと思っていたからだ。 シンにとって、争いと混沌は、朝日が昇る事と同じように、日常的で普遍的なことだった。
 路上をねぐらとしている者には、毎日何人もの死者がでた。 それが冬ともなれば何十人にもなることがあった。目が覚めると隣にいた人間が 冷たくなっていることも、珍しくはなかった。それほど過酷な環境だった。 今思い返してもどうして自分が生きていられたのかは分からない。 たぶんそれは神の気まぐれだろうとシンは思っている。
 彼が銃器の扱いを覚えたのは、そうした生活背景の中ではごく自然の流れだった。 小額の金を受け取るために銃を取り、言われるままに人を撃った。 自分が撃った人間がどういう理由で殺されようとしているかは考えなかった。 また、考えても分からないことではあった。その日の糧が、殺した人間の命と等価だった。 人の命は数枚のパンとミルクに変わり、シンを潤した。
 もちろん、すべてが順調だったわけではなかった。手痛い反撃を受けることも、 もちろんあった。傷ついた体を引きずり、命からがら逃げ出したことも、 断末魔のこの世のものとは思えない咆哮に戦慄したこともあった。だが彼は生き残った。 シンはまたしても神の気まぐれだと思った。
 ミッドガルという都市を彼が知ったのは、銃の扱いにかなり手馴れた頃だった。 シンにその存在を教えた者は、血を吐き、激しい恨みを宿した目で彼を睨みながら、 上層の人間ならまだ初等教育を受けてる歳だってのに、おまえはもう人殺しかと、 吐き捨てるように言った。シンはもうすぐ死ぬ運命だった男の寿命を数分だけ短くするために、 彼の頭部に照準を合わせてトリガーを引いた。
 上層というのが、ミッドガルという名の大都市を構成する上層プレートのことだと知ったのは、 それから少し後のことだった。話によれば、そこはシンの暮らす場所とは天地ほどに違うところらしい。 上層では自分と同じ歳の人間は、親の庇護の下、何不自由なく、安全で快適に暮らしているという。
 本当にそんなところがあるのだろうかとシンは疑問に思った。 そんな場所があるとしたら、そこはまさしく神の庭ではないか。
 嫉妬は覚えなかった。そんな生活は想像出来なかったからだ。 そして想像出来ないということは、どうでもいいという事でもあった。 実際、すぐにその話は忘れてしまい、長い間思い出すこともなかった。
 初めて人を殺した日から、シンの歩く道は、赤く染まったものになった。 同じ道を歩んだ同胞の多くが途中で脱落していく中、シンだけは最後まで生き残った。 彼の名は、ゆっくりとではあるが、確実に裏社会へと浸透していった。
 ストリートチルドレンの中に悪魔のような子供がいる、という噂を聞くようになった。 それが自分のことだと知った時には、シンは笑ったものだ。
 なるほど、神に与えられた器に何も入れてもらえなかった者は、悪魔の手先になるのかと、 それはあっさり納得出来る理屈ではあった。
 ひとしきり笑った後で、シンは泣いた。泣いた理由は自分でもよく分からなかった。



 コルネオに会ったのは、数年後の事だった。腕の立つ人間を雇いたいという話に、 大して考えもせずに首を縦に振った。彼は悪魔のように狡猾で貪欲な男だった。 ならば自分が雇われるには相応しい相手かもしれないとシンは考えた。
 ミッドガルの裏社会を仕切っている男の下につくと、さすがに経済的な 面での心配はいらなくなった。今までの生活からは考えられないような贅沢が出来るようになり、 酒や女も覚えた。表面上だけとはいえ、仲間と呼べる存在も出来た。
 しかしシンは空虚だった。
 理由はわかっていた。シンの持っている器は、入れ物自体にひびの入った欠陥品なのだ。 だから、そこにどれほど魅力的な美酒を注いでも、決して満たされはしない。 一時は満たされたと思っても、すぐに漏れ出し、何も入っていない空の器に逆戻りしてしまう。 だから自分は生まれてから今までずっと、空虚なままだったのだ。
 そしてこれからも、満たされることはないに違いない。
 それが神に欠陥品を押し付けられた人間の運命なのだろう。



 その日は唐突にやってきた。
 仕事で上層に行く、とコルネオから言われた時は、頭上をそれほど意識していたわけではなかった。 ああ、昔聞いた場所だと、その程度の認識しかなかった。
 帰ってきた時のシンの様子は尋常ではなかった。常に冷然で表情を変えない彼が 倒れそうなほど真っ青になって震えている様子には、普段は言いがかりのような文句ばかりつけてくる 仕事仲間も心配したほどだった。
 綺麗だ、とシンは上層を思った。あそこには穢れがない。まさしく神の庭だった。 器にあらゆる才を与えられた者だけが暮らしている選ばれた世界だ。
 もちろん今では、それがただの幻想だということを知っている。 上にだって目をそむけたくなるような醜いものはある。だが、当時の自分にとっては、 それこそ上層は光で満ち溢れた天国のようなところに見えたのだ。
 シンはコルネオの元を離れた。そして、少しでも上層に触れることの出来る、 タークスに入った。神の庭は、少しだけシンの近くで眺められるものになった。



 シンが今まで身を置いていた場所は、熾烈なサバイバルの世界だった。 そこでは誰もが日々に追われ、自分のことしか考えない。 海千山千の猛者たちが一枚も二枚も裏のある謀を日常的に繰り広げている。 賭けるものは自分の命だ。強いものは自分の力を当てにして、 そうでないものは知恵を使って。誰もが必死で後が無い。
 そういう場所に生きてきた者に、綺麗なものは少ない。ましてや穢れのないものなど 皆無に等しい。シン自身も例外ではなかった。彼は優秀なサバイバーで、 誰よりも呪われた道を歩んできた男だった。それは持たざる者の宿命だった。 だからためらいはなかった。生きていくことを選んだのだから、 自分の器が赤く染まっていくことは覚悟していた。そうだ、だからオレは悔いてなどいない。
 ただ、眩しいだけだ。
 自分が宝石のように思っている資質で器を満たした人間は、 シンにとって正視するのも困難なほど眩しい存在だった。
 ケイはその最たるものだった。だから自分のような者が触れてはいけないと思った。 触れれば、きっとその場所から毒のように自身の穢れが侵食していってしまうだろう。 そして彼女は輝きを失くし、炎に焼かれたダイヤがただの炭へと変化してしまうように、 価値のないものになってしまう。
 だから触れたくない。関わりたくない。ずっと、そう思っていた。



 だが、ケイはそんなシンの思惑とは裏腹に容易く声を掛けてくるのだった。
 ちょっと、シン。あなたワタクシの話聞いていらしゃる?ねぇったら。 何で無視するのかしら?シン!
ちょっと、もう、いい加減にして!
 いい加減にしてほしいのはこちらの方だ。いったい何だというのだ。 自分は彼女に何かしたのだろうか。いったいどういうつもりだと癇癪にまかせて机を蹴り倒すと、 側にいたカイルがぎょっとしてシンを見た。
「機嫌悪いな、どうした?」
「‥‥いや」
 眉を寄せて唸るように呟くと、カイルはそれを信じた風でもなかったが、大人しく引き下がった。
 視界にミストグレーの髪が見える度に、避けるようになったのは自分でも情けないことだと思う。 どうして自分が振り回されなければならないのかと苛々とした気分になった。
 だから、あの日、自分を捕まえて話しかけてきたケイに、つい言ってしまったのだ。
「鬱陶しいな」
 彼女が目を見開いた。何を言われたのかわからないといった表情だった。 シンは瞬時に後悔した。彼女の眼が翳るのを見たくはなかった。だが、 仕方が無い。このまま、自分に近づき、彼女が毒に侵食されてしまうよりはいい。
「オレに付きまとわないでくれ」
 随分と冷たい声だと自分でも自覚出来た。
 頭の隅にある、冷静な部分で、彼女は泣くだろうかと考えた。気丈な性質だから、 怒るかもしれない。だが、どちらにせよ、これで終わりだ。もう彼女が近づいてくることもないだろう。 それは寂しいことだが、同時に安心出来ることでもあった。これで彼女は綺麗なままだ。
 だが物事はシンの思うようにはいかなかった。
 視界が揺れ、地面が近くなった。何が起こったんだと呆けたように考えたが、 咄嗟のことで何もわからなかった。
「ちょっ‥ケイ何やって‥‥!」
「ケイさんっ!?」
 カイルとキーラのやけに動揺した声が響く。何故だろう、彼らは近くにいたはずなのに、 随分と遠いところから声が聞こえてくるようだ。 それがケイが力任せにシンの横っ面を張り倒したせいだと気付いたのは、 床の冷たさを感じてからだった。
 ぐらぐら揺れる頭で下からケイを見上げると、彼女は奇妙に冷静な顔のまま言った。
「あなた、ワタクシを馬鹿にしていらっしゃるの?」
 違う。馬鹿になんかしていない。
「なら理由を言いなさい。あんな一方的な言い方、許さないわっ!」
 猛々しいもの言いは、彼女にはとてもよく似合っていた。爛々と輝く瞳は怒っているというより、 理不尽に憤っているといった方が正しいだろう。
 シンはふと笑みを浮かべた。彼女は完全なのだと思った。 ケイの器はキラキラと宝石のように光る祝福で満たされている。 そういう人間は神から愛され、一生光り輝いて生きていく完全な存在だ。
「あんたは、宝石のような人間だ」
 だから近寄りたくない。穢したくない。オレは遠くで、あんたの輝くものを見ているだけでいい。 うかつに手を出して、その器に呪われた血を注ぎたくはない。 あんたにはそれだけの価値がある。誰も及ばないほど尊く、輝き、愛される者だ。 それを手放してほしくはない。その光が地に堕ちてしまう様を見たくはない。
「ケイには宝石のように綺麗なままでいてほしいんだ」
 彼女は眉一本動かすことなく、シンの言葉を最後まで聞いた。 そしておもむろに笑みを浮かべてシンの瞳を覗き込んだ。
「あら、奇遇ですわね、シン」
 近くで見る彼女の瞳はとても輝いて、眩暈がしそうなほどだった。 しかし、シンが実際に眩暈を起こしたのは、この次だった。
「ワタクシもあなたのことを宝石のように綺麗な人だと思ってましたのよ?」



「だって、シンの瞳って、とてもキラキラしていて綺麗なんですもの。 ワタクシ、一目で気に入ってしまいましたわ!」
「‥‥ああ、そう」
 気のない返事をすると、ケイはむっとしながらシンに詰め寄った。ちょっと、聞いているの?
 逸らした視線を彼女へと向けると、ケイは先までの熱っぽさの欠片もなく、 子供のように不満そうな顔でシンを睨み付けていた。仕方がないので聞いていると口にすると、 ケイは満足そうな表情で頷いた。
「絶対にワタクシのものにしようと思ったのよ。誰にも渡さないって!」
 絶対に、ともう一度繰り返した後に、シンに向かって微笑んだ。
「一目惚れだったから」
 迷いもない視線には嘘など欠片も含んでいない。
「綺麗なシン。ワタクシのものよ」
 だが、シンはそっと視線を逸らして嘆息した。綺麗、だって。このオレが?
 まったく、どうかしている。シンは本気で彼女の頭がおかしくなってしまった のではないかと疑った。しかし、ケイはそんな彼の内面など察した風もなく、 綺麗だと繰り返すのだった。それは本当に毎日、飽きもせずに。
 自分でも不思議に思うことだったが、シンは今ではケイの言っている事を 少しずつ受け入れ始めていた。綺麗だということをではない。彼女に認められる何かが、 もしかしたら自分の中にあるかもしれないことをだ。
「ケイ、少し喋りすぎだ」
 興が削がれると言って、ケイが体に巻きつけていたシーツを取ると、 彼女はクスクスと笑いながらシンの首に自分の腕を巻きつけた。
「悔しいわ。きっと、ワタクシの方がずっとシンのことを好きなんですもの」
「そうか?」
「ええ、そうよ。いつもワタクシからなのよ。初めに好きになったのも、そう。 シンに夢中なのも、そう。
もうっ、ホント癪に障るわ。振り回されっぱなしだなんて!」
 言葉とは裏腹に、彼女の声は弾むように明るいものだった。
 情を交わしたばかりの体は、互いにすぐに熱を取り戻すことが出来た。 もう喋るなと言って彼女の中へ入ると、ケイはいつも通り手放しでシンに体を預けてきた。
 シンは今でも自分が間違っているのではないかと思う事がある。 こうして彼女を手に入れることで、ケイの価値を貶めてしまっているのではないか。
 だが逆にこう考えることもある。彼女の器の中に入っている神からの贈り物には際限がなく、 その光輝く価値が自分の方へと流れ込んできているのかもしれない。ああ、あり得るだろう。 何せ彼女の強烈な光は、自分など足元にも及ばないほど圧倒的な影響力を持つものだから。 それこそ、シンの欠陥だらけの器に常に光を注ぎ足し、 漏れ出してしまう間もなく次から次へと満たしていくほどに。
 何故なら今のシンは空虚ではない。明るく温かいもので満たされている。
 それは間違いなくケイの存在が中心にあった。彼女が自分を好きだ、綺麗だと言う度に、 シンは自分という器が以前ほど嫌いではなくなっていった。
 そんな彼女の言葉を信じられないと思ったこともあった。いつか振りほどかれることが恐くて、 差し出された手を疎ましいと思ったこともあった。だが今は、 むしろ彼女を積極的に受け入れたいと思っている。何故なら彼女は正しい。 その鮮烈さには理屈など通用しない絶対のものがある。だから、彼女の言う通り、 きっとオレのような人間にも、何かしらの価値があるのだろう。
 幻想かもしれない。だが、それならそれでいい。 以前はその幻想さえ持つことが出来なかったのだから。
 綺麗なケイ。あんたはちっともわかっちゃいないな。
 オレがあんたを振り回してるんじゃない。あんたがオレを振り回しているんだ。 それを言ってもいいが、何故だか少しだけ悔しい気がした。ケイの言う通り、 振り回されっぱなしというのは癪にさわるものなのだろう。
 しかし、いつか自分は白状させられてしまうと、シンはわかっていた。 それも思うより遠い日ではない。本当のことを言った時の彼女の反応が知りたいと、 そう思ってしまった誘惑は、もう彼の中では抗い難いものになっていたから。
 だから、ケイ、もう少し経ったら、昔の話をしてやるよ。オレがまだタークスに入る前、 初めて上層へ行った時の話だ。そこで見た、神にすべてを与えられた者の話。 あんたはきっと興味を持つと思う。見かけたのは、ほんの一瞬だというのに、 オレは彼女がその器にあらゆる祝福を注がれてこの世に生まれてきたことがわかった。 強烈だった。忘れようと思っても忘れられるものじゃない。 だから彼女を象徴するミストグレーの髪は、長い間オレの瞳に焼き付いて離れなかった。
 そしてオレは、その祝福された人間に、一目で心を奪われたんだ。







 ものすごーく以前にリクを頂いていたニチョお嬢話。こ、こんなカンジで どうでしょうか?Y様‥(ビクビク)
( 2006.09.04 )