「 夢の中で眠る 」






______________________________ ふわり、ふわり
 何かが漂うような感覚がした。意識をそれに集中させると、 まるで自分自身も水の流れにのって漂っているようだった。 暖かくて心地よい、安心できる場所だと無意識のうちに理解できた。
 ヤマトはこの感じを知っていた。
昔、確かにこれと同じような感覚を経験した覚えがある。
それはいったい、いつのことだったのだろう?




「ヤマトさん、起きてください」
 重い瞼を開けると呆れ顔の人物が目に入った。
椅子に座っているため彼の方が目線が上にある。 しばらくどうして自分がここにいるのか分からずに
ぼうっとした表情で彼を見上げると 今度は少し心配そうな表情で「大丈夫ですか?」と問われた。
「‥‥‥光子郎?」
覚醒した頭がやっと状況を判断する。
ああ、そうだ。ここは学校だった。
「目が覚めたみたいですね」
 ヤマトは凭れかかっていた窓枠から身体を起こした。 不自然な体勢で居眠りをしたため関節が痛む。小さく悪態をついて椅子に座り直した。
 夏が終わり季節は秋に移行しようとしていた。 土曜日の放課後は時間帯も合俟ってちょっとした睡眠には最適だった。 ヤマトは授業が終わるとすぐにパソコンルームに足を運んだ。 彼はこの場所を気に入っている。あまり人が来ないというのが最大の理由だ。 窓際まで運んだ椅子の上でまどろむ瞬間が最高に幸せだったのだが、 それはあまり同年代の友達には受け入れられない趣味だった。
 どうしてだろう、とヤマトは思う。これほど幸せなことはないではないか。 今だって開け放した窓に凭れ掛かって外を眺めているだけなのに、こんなにも穏やかだ。
_________________________ まあ今日は一人ではないけれど
それだって気心知れた相手だから全然かまわない。
 一度大きく欠伸をすると後ろで光子郎が笑う声がした。 視線だけをそちらに向けると彼は自分とは違う正当な理由でこの場所に来たらしく、 パソコンを起動させている姿が目に入った。
画面を見入っていた顔がふいにこちらに向けられヤマトと視線が合う。
「今日はどうしたんですか。デジタルワールドには誰も行ってないみたいですけど」
「ちょっとした息抜きだよ」
「教室でうとうとすればいいんじゃないですか?」
 窓枠に身を預けて眠そうな表情をしていたヤマトが体ごと振り返って光子郎を睨む。
「やってられるか、そんなこと」
 次の瞬間には光子郎から視線を外し、また外を眺める。 そんなヤマトの行動に光子郎は首を傾げたが、彼の人好きのされる容姿のことを思い出し、 それに伴う付加効果を思って納得した。確かに周りで騒がれては眠ることなどできないだろう。
 クスクス笑いながらパソコンを操作する光子郎とは対照的に憮然とした表情でヤマトは 近くの机を引きよせてうつ伏せになった。
 そのまま眠りに入ろうとしたが、先程とは違いなかなか眠りに入ることが出来なかった。
_________________________ まだあの感覚が残っている
ざわめく木の葉の音や、パソコンのキーを叩く音が適度に睡魔を誘うのに、何故か眠れない。
考えまいとしても意識がそれを思い出す。
気になっているのだろう。たぶん、それが思いがけず優しい気持ちにさせられるものだったから。
ああ、でもそれはただの夢なんだ。
_________________________ そうだ、ただの夢なのに‥‥‥
 夢のはずなのに暖かいような、 懐かしいようなそんな気持ちが離れなくて、わけもなく切なくなる。
しばらくそうやってじっとしていると何かが思い出せそうな気がしたが、結局何も思い出せなかった。
 いったいあれは何だったのだろう。
「どうかしたんですか?」
 眠っているわけでもなさそうなのに、さっきから動かないヤマトを見て光子郎は キーボードを操作する手を止めた。ヤマトは憂鬱そうに起き上がり光子郎を見ると軽くため息をつく。
「ちょっと思い出せないことがあってな」
「僕でよければ相談に乗りましょうか」
 しばらくの逡巡の後ヤマトは夢のことを話し始めた。 言葉にするのは難しかったが、出来るだけ正確に伝わるように自分が感じたイメージを語る。 光子郎は適当なところで相づちを打ちながら真剣にヤマトの話しに耳を傾けていた。
 『話をする相手』として、ヤマトは光子郎より上手な人間を知らなかった。 彼は外からの情報を既存の知識と比較して再構築することが得意で 3年前はその性質に随分助けられた。 だが、それを誉めると少し寂しそうな表情をするのをヤマトは知っていた。 たぶん彼なりの葛藤があるのだろう。
_________________________ 誰だってそうじゃないのか?
 ヤマトが意識せずにかけた言葉は彼の信頼を勝ち得るには十分な台詞だった。 不安に苛まれた心は似通った悩みを抱えた人間だけが理解できる種類のものだった。 自分たちは同じタイプの人間だと光子郎は納得した。 ヤマトにそれを言ったことはなかったが、おそらく彼も分かっているだろう。
そんな共犯者めいた確信があった。




「そういう感覚に一つだけ心当たりがあります。
 といっても僕ももう忘れているので確信を持っては言えませんが‥‥‥‥」
 あまり返答を期待せずに話したので、ヤマトは光子郎の答えに驚きを隠せなかった。
「何だよ、教えてくれ!」
「はい‥‥あっその、いえ」
 彼らしくない歯切れの悪い言葉を不思議に思って光子郎の瞳をじっと覗き込む。
「どうしたんだ?」
ぶつかった視線から遠慮がちに上目遣いになると光子郎は思い切ったように口を開いた。
「あの‥‥‥怒らないって約束してくれますか?」
「‥‥‥‥‥‥」
 視線でどういう意味だと問い掛けたが、それはあっさり黙殺された。 どうやら怒るか怒らないかのニ択以外は受け付けないということらしい。 一抹の不安がよぎったが好奇心には耐えられず、怒らないと約束をする。 光子郎は少しためらいつつ小声でヤマトに自分の答えを伝えた。
________________________ な、なに‥‥?!」
 顔が引きつったのが自分でも分かった。 そんなヤマトの反応を予想していたのか光子郎は怒らないで下さいよ!と言って後ずさった。 そのまま少しづつ距離を取りながらまるで獣の反応を伺うようにヤマトの様子を観察する。 掴みかかられても十分対応出来る距離だ。
 だがヤマトはそんな光子郎には目を向けず、震える手で顔を覆ったまま座り込んだ。
_________________________ 言われてみればそうかもしれない
まったくその通りだよ、光子郎。
「ヤ、ヤマトさん?」
 急に額を押え込みその場にうずくまったヤマトを今度は少しずつ距離を縮めながら 光子郎が近寄ってきた。見るとヤマトは真っ赤な顔をしながら何事かをぶつぶつ呟いている。
「あっ、えーと、別にそう落ち込むことでもないと思いますよ。 そういうのってなかなか希有な体験じゃないですか!」
答えはない。
 がくり、と肩を落としたヤマトの顔を彼の特徴的な色の髪が覆い隠した。 それが邪魔をしてヤマトがどんな表情をしているのか分からない。 普段、感情が手に取るようにわかる人物の常にない反応に光子郎はどうしていいのか分からなかった。
「あの、そんなに落ち込まないで下さいよ。悪いことではないんですから。 というよりむしろ良いことなんじゃないですか? 機会があれば僕ももう一度体験してみたいくらいですし‥‥‥」
________________________ じゃあおまえもこい」
「えっ?‥‥わぁ!」
 ヤマトのすぐ側まで来て顔を伺うようにして覗き込んでいた光子郎は腕を取られて勢いよく床の上に転がった。 はずみで近くの椅子が音を立てて倒れたがヤマトはそんなことは気にせずに 自分の隣で唖然として倒れている光子郎を見て声を立てて笑い出した。
「ヤマトさん!」
「怒るなよ、体験してみたいって言ったのはおまえだろ?」
 自分も床の上にごろりと横になってヤマトが言う。 光子郎と手と手が触れ合う距離に位置を決めるとにこりと笑ってそのまま瞳を閉じた。 そんなヤマトを不服そうに見ていた光子郎だったが、 ヤマトの眠るように穏やかな表情につられて自分も目を閉じる。
 木の葉が擦れ合う音と、遠くの人の声と、自分たちの呼吸。
静かな音が重なり合って調和を持った旋律を奏でている。
 そういえば最近は毎日が忙しくてこんな風にゆっくりすることはなかったと光子郎は思った。
______________________________ ああ、こんな感じなのだろうか?
 穏やかな気持ちとはこういう日常にあるものかもしれない。 日々の鬱積したものや、些細な戸惑いも今は何もなかった。 頭の中がからっぽで緩やかな静けさだけが自分を揺らしている。
ヤマトが感じたのもおそらくこういう種類の安らぎだったのだ。
 そうやって二人で言葉も交わさずに横になっていた。
しばらくして思い出したように光子郎が瞳を開ける。 教室の天井が目に入り、自分が何をやっているのかを理解したが、 気だるい心地よさには勝てず夢うつつの声でヤマトに話しかけた。
「何だか少しだけ分かったような気がします」
「ああ、そうだな」
 聞こえるヤマトの声にも抵抗がない。安心しきった声音に光子郎は再び瞳を閉じる。
「夢でも見てるようですね」
「じゃあ見てるんだろう」
当然のことのように返された問いをしばらく考え、小さな声で答えた。
________________________ そうかもしれません」
確かに彼の言う通りこれは夢なのかもしれなかった。




_________________________ ふわり、ふわり
 聞いた通りの感覚を感じて光子郎は瞳を開けた。
それが夢だと分かっていたので目に映るものが何もなくても慌てたりはしなかった。
 本当に暖かい。
イメージだけのことかもしれなかったが、きっと現実もこうなのだという確信があった。 もしかして一緒に眠ったヤマトも近くにいるかもしれないと辺りを見回したが自分一人だけだった。 だが、それも当然のことかもしれない。自分も彼も、こうしている間は一人だったのだから。
_________________________ いえ、一人ではなかったんですね
 だからここはこんなにも安心出来る場所だったのだ。
_________________________ 姿は見えなくても常に自分を包んでくれている母親がいて‥‥‥
まだ自分が生まれる前はこうして暖かい心地よさに包まれていたのだろう。
それは漂うように捉えどころの無い感覚だったが、生涯忘れることの出来ない思い出だった。
誰もがそうやって優しさを分け与えられていくに違いない。
いつか一人で歩き出す時のために、今はこうして全身で生命を感じながらゆっくりとまどろむのだ。



 瞳を閉じる。
意識が遠のいてゆくのを感じながら、光子郎は夢の中で深い眠りに落ちていった。








 私がまだ学生をやっていた頃に学校のCAD室で書いた話です。 卒論もやらずに何やってたんだか(笑)



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