痛みっていったらさ、それはもうすさまじいものだよ。
何せ体のどの部分も刺すような感覚を訴えるんだから。体が傷つくというのは本当に痛い。
「事故」なんて言葉を聞く分には他人事のような視点でいられるけど
実際に自分が体験してみるとたまったものじゃない。
それも被害者の立場になるなんて最悪だ。
僕の隣で弟がガタガタ震えている。可哀相に、すっかり顔色を無くしている。
母が「治ちゃん」と金きり声で僕の名前を呼ぶのが聞こえる。
何とか立ち上がろうとしたが、無駄だった。
僕はただあまりの激痛にしだいに薄れる意識を自覚することしか出来なかった。
暗い意識の底から引きずりだされた時、僕は自分がどこにいるのか分からなかった。
しばらくして全身につけられた医療器具を見てやっと状況が分かった。
自分が目覚めたということを表すために声を出そうとしたが、それもままならない。
それどころか腕の一本、指先すら動かせないことに気付く。
よく自分でも冷静でいられたものだと思う。僕はその時、なにやら奇妙に達観した気分で事実を受け止めることが出来た。
死というものを考えなかったわけではないが、こんな風に自分自身に降りかかってくる
こととして考えたことはなかった。しかも突然、何の前触れもなく来るなんて。
でも不思議なもので何故か僕は死を覚悟していた。
死にゆくものだけが分かる、何というか‥‥予感みたいなものがあった。
まあ体のほとんどどの部分も動かせずにゆっくりと毎日が過ぎていけば
誰だって覚悟ぐらいするのかもしれないが。
でも死は緩慢だった。
どうせならひと思いに死んでいた方がよっぽど楽だったと思うほどにそれは苦痛だった。
「‥‥よぉ」
聞きなれた声に意識を向ける。体は何ひとつ動かせなかったが、
彼はそんなことは全く気にせずに僕を覗き込んで久しぶり、と言った。
ああ、そうだ。こいつは僕の心がまだ死んでいないということを知っているんだ。
僕は直感的にそう感じていた。いつもは軽薄ないけ好かない奴だと思っていたが、
今度ばかりは有難くて涙がでそうだった。でも、もちろん僕の外見はまったく変化がない。
繋がれた生命維持の機具が単調に僕の心拍数を紡いでいるだけだった。
それでも、どうしてそんな確信を持っているのか、彼は僕の意識があることを疑いもせずに
ここまで忍び込むの大変だったんだ、と日常と全く同じ軽い口調で話しはじめた。
もし、四肢が自由になっていたならきっと僕もいつも通りに「うるさい!」と
怒鳴り返していたことだろう。
彼とは ________________ 遼とは常にそういう関係だったのだから。
それを鬱陶しいと感じていた頃が懐かしい。今の僕にはそんなことも出来ない。
次に彼が何をやったのか、僕は今でも分からないままだ。
だから事実だけを言うことにする。遼は僕の隣に来て椅子に腰かけた。
そして右手で僕の手を取り目を閉じる。訝しく思う間もなく彼の左手が微かな光をはなった。
よく見ると左手には何かを持っているようだった。それは小さな機械だった。
よくこの世代の子供たちが持っているおもちゃのような機械。
だが、その光を見ればそれがただの機械でないことは明白だった。
僕はどこかでそれを見たように思う。どこでなのかは思い出せないが、どこかで確かに。
次の瞬間僕は僕自身がひどく揺さぶられるのを感じた。
もちろん、それは現実の感覚ではない。でも何か、例えて言うなら決して抗えない
力に精神の奥深い部分を探られるような不安定な感覚があった。
気が付くと周りの景色が一変していた。そこは病棟の白く、薄暗い部屋ではなく、
日の光が差す明るい草原だった。だが、そこにあるのは見たこともない草木ばかりで、
普通の草原ではない。ざっと、辺りを見回して、
数メートル離れた木陰に誰かが倒れこんでいるのを発見した。
___________________ 遼っ‥‥
慌てて駆け寄ると彼は笑顔で片手をヒラヒラと振って僕を迎えた。
一瞬死んでいるのかと本気で心配した僕はふざけるな、と思い切り彼の頭を叩く。
だが、普段よりも幾分疲労した表情を浮かべているのは事実だったので少し心配になって
彼の傍にかがみ込んだ。すると、遼は大丈夫だって、
と軽く言いながら僕の腕を取って隣に座らせた。
「自分以外の意識をデータ化したのは初めてだったから少し疲れただけだよ。
うん、ちゃんと成功したみたいだな。見たところ異常はないけど平気か?声も出せるよな?」
そういって遼は軽く僕の喉に触れた。
「声‥‥?」
恐る恐る声帯を震わすと、以前と変わりなく声を出すことが出来た。
しかもそれだけではない。まるであの事故の前まで時間が戻ったみたいに
体のどこも自由に動かせた。
「いったいどうなってるんだ?ここはどこだ?」
初めは死んだのかと思ったが、遼も一緒にいるところをみるとどうも違うらしい。
「人の意識だけがすべてを支配する世界、かな?」
抽象的だから分からないか、と付け足して遼はいたずらっぽくニヤリと笑った。
僕は訝しげに睨みつけたが全く気にする様子もない。だが、まあいい。
こういう場所もあるのだと今は納得しておくことにする。
それよりも問題は ___________________
「どうして僕はここにいるんだ?」
いや、違うな。
「どうして僕をここに連れてきた?」
この常識も理屈も通用しない夢みたいに危うくて理想的な世界に僕を連れてきたのは何故だ?
遼はしばらく僕をまじまじと凝視した後に苦笑するようにため息をついた。
「 ___________________ さすがだよな、そういうところは」
あたりまえだ、と僕は馬鹿にしたような視線を送る。
だが彼は、先だってと同じようにそんな僕の態度を気にする様子もなかった。
「たまにはこっちが利用してやろうと思ってさ、この世界を。
今まで散々貢献してきたんだからこのくらいはいいよなって」
「何を言ってるのか分からない」
自分だけが納得できる言葉だけを紡ぐ遼に僕はイライラしながら言った。
すると彼はすっと目を細めた。
「治と、もう一度話したかったんだ」
そういうと遼は僕の手を取り、指先に唇を押し当てた。
思わず何をするんだと振りほどこうとしたが、ぎゅっと眉をよせて何かに耐えているような
表情を見せられたのでそんなこと出来なくなってしまった。
そうされるのは嫌ではない。でも居心地が悪い。
触れられた手が熱くて、このままだと僕の方がどうにかなってしまいそうだ。
「リョウ‥‥」
「 ___________________ わるい‥」
困った声で彼の名を呼ぶと、ようやくいつもの彼らしく笑って手を離した。
一瞬それがものすごく寂しいことのような気がして離そうとした手を掴みかえす
ところだったが寸でのところでそれを止めた。
「少し、話してもいいか?」
いいも何も嫌だと言っても無理矢理話を聞かせるつもりだろう、
と返して僕はため息をつく。そんな僕に遼はそうだな、と苦笑してから話を始めた。
それは他愛もない話から始まった。
最近どこかへ行ったとか、学校を休みすぎて注意された、とか。
僕には分かっていた。本当に彼が話したいのはそんなことじゃない。
ただ、本題に行き着くのがお互いに怖かったから
どうでもいいような話を出来るだけ長く続けていた。
この世界の事も聞いた。そして、遼が自分たちのいる世界と同じくらい
こちら側に関わっているのを知った。その話を聞き、
僕はようやく彼の平和な世界にいるには妙に猛々しい性質の理由を知った。
どうりでな、と僕が笑うと遼はふと真剣な表情を浮かべる。
そのまま視線をつと逸らし、何やら彼にしては珍しく逡巡する素振りを
見せた後に心の内を吐露するように言葉を紡いだ。
「ここに呼ばれたのが良いことか悪いことかは分からないけど、
選ぶことが出来るのは良いことなのかもしれない。行動を‥‥生き方を、
全部流されて生きていくよりはと思う。ただ、何だろう、少し残酷だよなって。
ここは誰に対しても厳しいから、容赦がないから。恐ろしいほどに自然だから」
僕がぎょっとするほど、ギリっと軋んだ音がして遼は自分の手を握り締める。
「オレはおまえをここに呼びたくなかった」
「呼びたくない‥‥?」
「ああ‥。だからもしそれがオレの意思で、
それが優先されるものとして認識されたのならオマエが来れなかったのはオレのせいなんだ」
何て手前勝手な言い草だ、と僕は思った。
でも怒りとか憤りとか、そういったものは感じなかった。
代わりに苦笑に近い笑みがこぼれる。
「何だよソレ、慰めてるつもりか?」
いつもは驚くほど饒舌で人を丸め込むのが上手いのに、何を本気で話しているんだか。
こういう時にこそ得意の調子のよさで切り抜ければいいのに、と僕は呆れた。
でもそれが彼なりのの誠実さだということは分かっている。
「それが本当でも、そうでなくてもどっちでもいいよ‥‥」
どちらにせよ今の僕には同じことだから、とはさすがに口には出せなかったが、
やっぱりこういうものは雰囲気で分かってしまうものなのだろう。遼は顔を曇らせ俯いた。
そして次に顔を上げた時にはじっと、審判を待つ罪人のような表情で僕を仰いだ。
ああ、もう来るのかと僕は思った。
「これからどうする?」
その一言が僕の頭の中で響く。
これが現実世界でのことだったら何と残酷な問いだろう。だが、ここはそういう場所じゃない。
もし、この世界が本当に意思が支配する世界だとしたら
いくらでも方法はあるのだろう。遼のことだ、当然そういうやり方も見つけてあるに
決まっている。それで、僕がもしそれを選んだとしたら、いつものような軽い調子で
何でもないことのように引き受けるに違いない。それが持つ意味とは裏腹に何でもないこと
のように頷いて、そして何を犠牲にしてでも実行するに違いない。
もともと正しいとか間違っているとか、そういう観念で動いている奴じゃないから。
たとえそれがどんなに間違っていることでも、
たとえ限りなく悪に近い性質を持ったものでも彼はきっと‥‥。
そうだな、遼。
僕は思うよ。それは何て抗い難い誘惑なのだろう。
死を目前にした人間にとってそれは本当に切実で魅力的だ。
本音を言えば一も二もなく頷いてしまいたい。
だが、それを選べば僕もおまえもどうなるかは分かっているよな。
さっきおまえ自身が言ったみたいに、ここは優しい世界じゃない。
この世界にもルールがあって、きっとその選択はそれから逸脱するものだ。
そんなことになればどうなるかなんて分かっているだろう。
この世界を身を持って経験してきたおまえなら容易に想像がつくはずだ。
でも、知ってるよ。
おまえがそういうのを全て承知で僕に聞いていることを。
自分に降りかかる災いも理解していることを。それを全部自分で背負うつもりで、
しかもそのことを全く構わないと思っていることを。
何もかも納得した上で、コイツは僕に聞いてるんだ。
これからどうするのかと。僕がどうしたいのかと。
それがどんな結果になるものだとしても僕の好きにしていいから、と。
なあ‥‥僕は胸が焼かれるようだよ。
その想いは僕にとってはあまりにかけがえがないもので、狂おしいほど切なくなる。
言葉に出来ない感慨でいっそ痛いほどだ。
遼はいつだってそうなんだ。くだらないプライドにしがみ付いている僕に
まっすぐ手を差し出して、自分がそのために傷を負っても平気な顔をして隣にいる。
いつも自信あり気に笑って、大丈夫だと言って。
そうやって僕を何度も日のあたる場所へ連れ出して、
知らない世界を見せてくれたんだよな。
だからもういいんだ。それだけで十分なんだ。
本当に、僕にはもう、十分過ぎるほど幸せな時間だったから。
だから‥‥
「僕はもう生きられない」
小さな声ではっきりと告げた言葉に遼は何の反応もせず、無表情のままだった。
もしかしたら僕のそういう答えを予想していたのかもしれない。
随分と長い沈黙の後、同じように表情のないままで遼が口を開いた。
「‥‥どうしてほしい?」
僕は笑った。少し寂しそうになったのは仕方がないだろう。
それだけで遼には通じた。彼も少しだけ辛そうに笑い、
僕の片手を取って自分の方に引き寄せた。それは彼が常にするようなふざけたものではなく、
ひどく真摯で切実なものだった。バランスを崩した僕ははずみで遼に寄りかかる。
でも、何故かそれに抗う気がしなかったので僕はそのままもたれかかった。
「ごめん‥‥」
謝ったのはどっちだったのだろう?
でもそんなことはどうでもいいような気がした。
僕はずっとおまえを嫌いだと思っていたけれど、案外そうでもなかったみたいだ。
絶対に分かり合えないタイプだなんてどうして思っていたんだろうな。
本当は誰よりも近い距離にいた奴だったのに‥‥
___________________ ああ、そうか
唐突にあることに気付いて僕は妙に納得する。
どうして傍にいるだけなのにこんなにも安らかなのか、こんなにも嬉しいのか。
どうして離れなければならないことがこんなにも辛いのか。
そうして、ようやくすべてのコトに納得して僕は自分の気持ちを自覚した。
僕は思う。彼が僕を理解してくれたように、僕も彼を理解できていれば良いって。
そうして、少しは僕の存在が彼のこれからの人生の助けになることができれば良い
と考える。
だって、あいつがそうだと言ってくれるのなら、
このあまりにも悔やむことの多い人生もそれなりに価値のあるものだったのではないかと
思えるような気がするんだ。
「そろそろ戻らなきゃな‥‥」
僕を腕から解放して、遼は言った。コイツにしては珍しく本音を隠せていない
震える声音で、それは事故の時よりも激しく僕に痛みを自覚させた。
遼はこんな時でも真っ直ぐ僕を見る。決して目を逸らさずに僕を見ている。
だから僕も目を逸らさなかった。じっと、最期まで目を逸らさずに彼だけを見ていた。
遼は上手くやってくれた。
もしかしてこういうことに手慣れているのではないだろうかと勘ぐったほど、
誰にも気付かれず、なんの支障もなくやってのけた。
だから僕は次の日には痛みから解放された。
簡単に言えば死んだのだ。
覚悟していたとはいえ、最後の瞬間は怖かった。
でもこいつにならかまわないと思った。僕の最後を知る人物がこいつならかまわない。
永遠に意識が薄れていく中で、僕は彼が傍にいることが分かった。
物理的な距離ではなく、もっと深いところで。
僕はそこで終わった。
「一乗寺治」という人物は永遠に現実から失われたのだ。
今、こうして意識を伝えている僕は本当の彼とは違う。
一度デジタルワールド(そういえば何時の間にか僕はその名前を知っていた)
に行った時に少しだけ切り離した意識の断片だ。
どうしても断ち切れなかった未練を片付けるために猶予をもらったのだと
僕自身は思っている。
僕はここで待っている。
遼がもう一度ここに来るのを、もうずっと待っている。
あれからあいつは一度もここへは来ていない。あんな人生ふてぶてしく生きてます、
って奴でもそれなりに友人の死は堪えたらしい。
‥‥‥まあ、今さら隠してもしかたないから、正直に言おう。
僕はその事が嬉しいんだ。
それだけ僕の存在が彼の中で大きかったということが嬉しい。
それは裏を返せばあいつが今でも苦しんでいるということだけど、
それでも僕は嬉しいんだ。
でも、分かる。
もうすぐ遼はここに来る。あいつは強い奴だから、
いつまでも後ろを見て引きずってるような人間ではない。
自分の中でいろいろ考えて、消化して、僕のことも、いずれ自分の力にしていくことが出来る奴だから、
すべてを納得させるためにもう一度ここへ来る。
それは少し寂しいことだけれど、仕方がない。
いつまでも過去の亡霊に縛り付けておくわけにもいかないから。
僕はまだアイツに伝えていないことがある。最後にそれだけを伝えるために、今ここにいる。
今さらそんなコトを言っても仕方ないけど、それでも伝えたいのだからしょうがない。
遼は僕のことを強情だと言う。だったら最期まで強情で通させてくれてもいいだろう?
だって、そんな僕を好きだと言ったのはおまえじゃないか‥‥‥
背後で人の気配がする。振り返ると、そこには予想通りの人物がいた。
僕を見て鋭く息を呑む姿はいつも冷静さを崩さない彼にしてはずいぶんと珍しいことだ。
僕は笑いながら歩み寄る。
そうだな、まずはその安っぽいファンタジーにでも出て来そうな格好の理由から
問い詰めてやろう。次に僕の弟と家族がどうなったかと、
今おまえがどうしているのかを聞いて、それから、
___________________ それから‥‥
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