ギリギリと締め付けるように胸が痛むのはディメンダーに心を侵食されているせいだけではないということを、
シリウス・ブラックは知っていた。アズカバンに収容されてから数ヶ月。
放心状態の日々は過ぎ去り、後はただひたすら長い時間を持て余しながら
考えることだけを日課とする毎日の中、冷静になる心と比例して湧き上がってくるのは
耐え難いほどの心の軋みだった。
「おまえ、何て名前?」
初対面にしては馴れ馴れしい物言いだったが、気にはならなかった。
それよりも初めて会ったというのに自分自身と行動しているような空気がとても不思議だった。
「 ___________________ シリウス・ブラック」
「僕はジェームズ」
にこりと笑うとさっきまでの取っ付き難さが嘘のように消えてなくなった。人懐っこい表情に思わず目を奪われる。
「ジェームズ・ポッター」
差し出された手を握り返すのに、戸惑いは全くなかった。
考えれば、彼は初めから何の遠慮もなかったように思う。
警戒や打算、虚栄なども全くなかった。当たり前の様に自分を信頼して、
信頼されることを疑いもしなかった。入学早々に自分と友達になった時も、
それから少しして四人が親友になった時も、彼のその態度は変わらなかった。
___________________ ああ、そういえば、
リーマスはどうしたのだろう
自分たちの中で唯一真実を知らない彼は、今いったいどうしているのだろう。
おそらく無事ではいられない。彼の心が、平気ではない。
人より幾分優しく、少しだけ臆病な精神は今頃ひどく傷ついているに違いない。
___________________ 馬鹿だな、おまえのせいじゃないのに
何がどういう風になっても、それはおまえのせいじゃない。
何も気にやむことはない。そう伝えてやりたいけれど、どうやらそれは無理そうだ。
彼のために自分が出来ることは何もない。
せめてもの救いは彼がジェームズの死に様を知らないことだ。
あんな死に方を目の当たりにしたら、それこそどうなっていたことか。
ジェームズは激しい抵抗をしたのだろう。
彼の性質はいつだってそうだった。
他人から押さえつけられることには常に過剰な程の反発を示し、どれほど無謀なことでも
諦めることがなかった。
きっと死の直前まで自分に出来る精一杯の抵抗をしていたのだろう。最後まで、彼らしく。
彼の遺体と周りの惨事が裏付けるようにその事実を物語っていた。
見慣れた彼の家が、見慣れない真紅の色で染まっているのは子供の頃に見た悪夢そのものだった。
ジェームズの怒りと憤りがすり替えたようにシリウスの思いと同調する。まるで自分自身を殺されたかのような激しい感情が心を満たした。ある意味それは正しかったのかもしれない。ヴォルデモートはシリウスの半身を殺したのだ。
___________________ 許すものか
明確な殺意が全身を駆け巡る。
だが果たしてそんなことが可能だろうか。
ここから抜け出して、ピーターを捕まえて、ハリーを保護して。
そして周りの者すべてを敵にしながらヴォルデモートと対峙する。
それは気が遠くなるほど困難なことだ。自分一人で出来るとは到底思えない。
否定的な考えしか浮かばない思考にシリウスは自虐的に笑みを浮かべる。
どれほど無謀なことでも、昔なら躊躇わなかった。きっと今と同じ難題を抱えていたって平気だっただろう。
___________________ 彼が隣にいたから
ひどく身勝手で自信家で、しかし彼の、ジェームズのそういう性質を知らず知らすのうちに頼りにしていた。「自信がないのか」と挑発的な物言いで煽られ腹立たしいと感じたことも一度や二度ではなかったが、今思えばそれだって支えだった。
「僕がいる」と、たった一言かけられたその言葉にどれほど助けられたことか。
「なあ、僕と一緒にいて楽しいか?」
ジェームズにそう聞かれた時、自分は何と答えたのだろう。素直に楽しいと答えたのではなかったような気がする。自分はそういうところではまだまったくの子供だったので、本音を言うのを何やら気恥ずかしい事だと考えていたのだから。
___________________ 楽しかったよ。オマエといた時が一番楽しかった
今なら素直に言えるのに。
後悔する人生をおくってきたつもりはない。だが後から悔やむ出来事の何と多いことだろう。 もしジェームズにもう一度会えるなら伝えたいことがある。
つまらない意地やプライドが邪魔をして伝えられなかった本当の気持ちを。
いつか言おうと思って結局機会を逃してしまった大切な言葉を。
言いたくて、言えなかったすべての事を伝えて、
___________________ それで
すまないと。
助けてやれなくてすまないと‥‥
胸が痛む。
ギリギリと軋みをたてて、何度も自分を責め、苛む。
しかしシリウスはこの痛みを和らげようとは思わなかった。深く自分を奥まで抉るような瑕疵だけが、長い幽閉生活で正気を保つための唯一の手段だと知っていたからだ。
また、そうすることが彼自身の本当に傷ついている部分を麻痺させる何よりの薬だということにも、本当は気付いていたのかもしれない。
『僕はジェームズ ___________________ ジェームズ・ポッター』
記憶の中で鮮やかに甦る彼は、何故か初めて出会ったあの時のままに、いつも笑っているのだった。
|