セブルス・スネイプは決して才能の無い人間ではなかった。
特に得意な教科 _____________________
魔法薬学に関しては担当教師も舌を巻くほどの才覚を見せていたし、
それ以外の科目でも他の生徒より常に優秀だった。
彼はスリザリンの誉れだ、というのが寮監の口癖で、それを疑うものはいない。
しかし彼自身はホグワーツに入学して以来ただの1度も心から自分の才能に酔えたことはなかった。
ジェームズ・ポッターというのはセブルスにとっては心臓を鷲掴みにされるほど
動揺させられる名前だった。ましてや彼本人を目の前にした時にはあまりの動揺に眩暈がするほどだった。
そんな彼の内心を知ってか知らずかジェームズは小馬鹿にしたような口調と態度でセブルスをからかうのが常だった。
ジェームズはいわゆる「天才」だった。
セブルスはある程度の力量を持つ人間の多くがそうであるように、
自分自身の能力を理解していた。だから自分とジェームズの才能の質が全く違うものであることや、
その差を埋めることが途方も無い夢でしかないことを本当は分かっていた。
しかし彼は天の采配を嘆くにはまだ若く、野心家だったので、ジェームズに心酔する心根と、
自身も周りも引き裂くほどの激しい嫉妬心との狭間で悩み、
苦悩することがまるで日課のようになっていた。
シリウス・ブラックという名前を聞いて反応する感情はもっと単純だった。
こちらは掛け値なしに憎しみを募らせることの出来る相手だったので
セブルスはジェームズにぶつけることの出来ない苛立ちもまとめて彼にぶつけていた。
一目見た時から気に入らなかったというのももちろんだが、
その後シリウスがセブルスの言うところの「不埒で許し難い野蛮な行為」のために
スリザリンの女子寮に忍びこんだ時
(彼の名誉のために言えばそれは「同意」だった)、彼を捕まえてやろうとしたセブルスを
逆に捕まえて塔の上から逆さに吊るした瞬間から憎しみは決定的なものになった。
翌朝真っ赤な顔で食堂に乗り込んだセブルスに向かってシリウスは一言
「人の恋路に野暮な真似するからだ」とだけ言って後は全く自分を無視して食事を続けた。
憎しみは殺意にまで膨れ上がり、
今なお色褪せることなくセブルスの内側に渦巻いている。
試験管の中の液体が変化を見せた時からセブルスは自分の調子がいつも通りではないと
いうことに気付いていた。
本来なら血の色を思わせるほどの鮮やかな赤に彩られるはずだった液体は
今では毒々しい緑色を見せており、思わず大きなため息が口をついて出た。
「先生‥」
手を挙げて担当教師を呼び止める。教師は何だね、と近寄り、
ありえない色に染まっている彼の試験管に目をとめてわずかに口の端を歪めた。
「体調がすぐれないので保健室に行かせて下さい」
淡々と言う彼の言葉にしばらく逡巡していた教師だったが彼のすぐれない顔色と授業内容
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今日の授業は毒薬の作り方だった
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を考えて誰か彼を保健室に連れて行くように、とクラスへ呼びかけた。
しかしセブルスは一人で平気ですとキッパリと言い切り、返事も待たずに
教科書を掴んで教室を出た。
しばらく黙々と歩き、人気のない廊下に来るとセブルスは先程にもまして大きなため息をついた。
「まったく私は‥‥」
自嘲気味に呟きながら近くの柱に手をつく。
体調がすぐれない、というのは嘘ではない。
昨晩から微熱が彼を悩ませているのは本当のことだった。
しかし、教室を出た本当の理由はそれではない。魔法薬学の、
グリフィンドールとの合同の授業の時にいつもなら鬱陶しいほど目に付く人物の姿が
教室のどこにもいなかったことが彼の調子を狂わせている最大の原因だった。
セブルスは自分でも無意識のうちに、手入れのあまりされていない黒髪と、
ずる賢そうな目つきを探していた。そしてそれがここにない、
ついでに彼の隣にいつもくっついているもう一人の人物もいないことに気付いて、
激しく動揺したのだった。
彼らがいないことは別に珍しいことではない。
歳のわりに随分子供っぽい彼らは毎日のようにいたずらを仕掛けては喜んでいる。
その準備のためにいなくなることは日常茶飯事だった。
だから周りの生徒は誰一人として不思議に思う者はいない。
しかし彼らが魔法薬学の授業をさぼることはかなり珍しいことであるのを
セブルスは知っていた。実習が基本のこの教科が
ジェームズのお気に入りであるということを分かっていたからだ。
実験の結果に一喜一憂する生徒をさらに盛り上げることが自分の使命だと言い、
ジェームズは毎回毎回飽きもせずこの授業を張り切って引っ掻き回していた。
そしてセブルスはそれを横目で冷ややかに眺めるのが習慣となっていたのだった。
そんなジェームズの姿が今日はどこにも見えない。
せいせいする、と思う心と同程度に落ち着かない気分になるのが自分でも気に入らないのだが、
そういうものは全く自制できる感情の範疇にないのだった。
「 ____________________________ 」
遠くから聞こえた小さな声が、自分の思考に埋没していたセブルスの意識を浮上させた。
掠れそうなほど震える声だったが、
セブルスはそれが間違いなくジェームズの声であるという確信があった。
声は廊下から外れた外の芝生から聞こえてきた。
おそらくあまり人の立ち入らないその場所でいつもの悪巧みをしているのだろうと、
セブルスは迷うことなく声のした方向に足を進めた。
初めはジェームズが獣に襲われているのだと思った。
大きな黒い、グリムのような獣が彼にのしかかり、地面にうつ伏せに押し倒していた。
セブルスは慌てて杖を取り出そうとマントの下に手を入れ、
次の瞬間ビクリとして体を硬直させた。
「っ‥あぁ」
ジェームズが声を上げる。それはセブルスが聞いたことのないほど甘く、掠れた声だった。
硬直した体のままセブルスは吸い寄せられたように目の前の光景を凝視した。
そして彼のたくし上げられた服から見える素肌と、
太腿から流れ落ちる血の痕にようやく何をしているのかを理解して愕然とした。
「あ‥あぁ‥‥んっ」
獣が彼の上で動く度にジェームズが堪えきれずに声を漏らす。
地面に押し付けられた顔は痛みと、それ以上の感覚に彷徨う彼の内を如実にあらわしていた。
脱ぎ捨てられたマントを掴み、
断続的に押し寄せる波に身を任せている様はおそろしく現実感が希薄な悪夢だった。
ひときわ高い声を放ってジェームズがぐったりと身体を弛緩させる。
投げ出された身体が時折痙攣で震え、余韻にうかされながら荒い呼吸を何度も繰り返す。
頬を幾筋も涙が伝い、先の享楽に溺れた姿さえ見ていなければ
無理矢理押さえつけられた屈辱に泣いていると思うところだ。
長い間、少なくともセブルスにとってはとても長い時間そうして
じっと動かずに繋がっていた彼らだったが、
ジェームズの呼吸が徐々に穏やかになった頃にようやく獣が彼から離れた。
体内から引き抜かれる異物の刺激にジェームズが小さく声を漏らす。
そんな彼の隣に影のように寄り添い、詫びるように頭をすり寄せた獣は、
次の瞬間ゆっくりと視線だけをジェームズから外した。
「 _____________________ っ!!」
硬直した体に冷や汗が走る。
向けられた視線は間違いなくセブルスを捕らえており、頭から冷水を浴びせかけられたようだった。
捕食される小動物のような絶望感が心を満たす。
どちらもしばらくはそのまま動かなかった。
沈黙を破るのがこの世で何よりも罪なことのように、
彼らは微動だにせず視線だけを交差させていた。
セブルスはその視線を知っていた。より正確に言えば、
それに似たものを知っていたといった方が正しいだろう。
獣の瞳はセブルスが誰よりも嫌っている相手に似ていた。
いつも当たり前のようにジェームズの隣にいて、当たり前のように想いを注ぐ相手。
誰よりも彼に信頼され、それを当然のことのように享受する相手。
自尊心が強く、誰に対しても横柄なくせにジェームズにだけはあっさり膝を折り、
信頼や _________________ 愛を乞うことを全く厭わない、
この世で最も憎い、自分と全く逆の性質を持つ相手‥‥
獣が小さく体を動かし、狙いを定めた。しなやかで無駄のない動作は
思わず見とれるほどだったが、もちろんセブルスにそんな余裕はなかった。
殺される、と思った。この距離では逃げられない。
杖を掲げて呪文を唱えるよりも、自分の喉笛を食いちぎられる方が早いだろう。
助けを呼ぶために叫ぼうとしたが声が出ない。
やめてくれと心の中で叫びながらセブルスは恐怖で見開いたままの瞳を獣に向けていた。
たぶん、本人にその意思はなかったのだろう。
ただ彼は自分の側にあった体温が離れていくのを止めたかっただけに違いない。
ジェームズはゆっくりと手を伸ばして獣の黒い毛を掴んだ。
しかし、思うように力の入らない体は自分の腕の重さを支えきれず、すぐに地に落ちた。
「行くな‥‥」
彼から退こうとしていた獣に虚ろな瞳のまま訴えかける。
ふらつく動作で身を起こし、背後の獣に倒れるようにして身体をもたせかける。
獣はセブルスから視線を外し、自分を求めた相手を見た。
「 _____________________ 」
囁くように何か名前のようなものを呟いたジェームズは、
涙の乾ききらない情欲に濡れた瞳を獣と合わせた。
「 _____________________ まだ、足りない‥‥」
もっと欲しいと懇願しながら瞳を閉じると、
目じりに溜まった涙が流れ落ちて新しい筋を作った。
するとまるで彼の言葉を理解したかのように獣は頬を伝って落ちる涙を舐め取り、
ジェームズを横たえるようにそっと体をずらした。
そして彼を傷つけない丁寧な動作で再び覆いかぶさり、体を繋げた。
セブルスが見ていることができたのはそこまでだった。
恐怖で震える心と縺れる足を叱咤し、何とかその場を離れる。
背後からはジェームズの途切れがちな喘ぎが聞こえたので、
もうわき目もふらずに走り去った。
助かったという安堵よりも胸に広がる絶望感の方が勝っていた。
心臓が壊れるのではないかと思うほど全力で走って自室に戻ったセブルスは、
教科書を投げつけるように床に放り出しベッドの上に倒れこんだ。
目を瞑り耳を塞いで一切の外からの刺激を遮断するが、
先程見た光景はセブルスの意思に反して何度も繰り返される。
_____________________ あ、あんなっ‥‥あんなことをっ!
脳裏に甦る、痛みと快楽に溺れる彼の姿。
誘うように紡ぐ声と動かす度に響く淫らな音。
ひどく退廃的で煽情的な記憶に頭が真っ白になる。
震えの止まらない体を抱きこむようにしながら、
セブルスは自分でも分からない感情の波に必死で耐えていた。
頭の中がぐちゃぐちゃで、もう何がこんなに苦しいのかも分からない。
指が腕に食い込むほど力を入れる。
そうすれば、今までのことをすべてなかったことにしてくれるとでも言わんばかりだった。
ジェームズが廊下の向こうから死にそうな表情で歩いてくるセブルスを発見したのは
翌日のことだった。ジェームズは「死にそうだ」と彼を表現したすぐ後に「死んでいる」に
変えた方がいいな、と心の中で訂正をした。実際、セブルスは死人のように真っ青だった。
おまけに普段なら自分が彼に気付くと同時に向こうもこちらに気付き、
思い切り睨みつけられるのが当たり前だというのに、今日は自分の存在に気付きもしない。
これはいよいよただごとではないと思い、自分に気付かぬまま隣を通り過ぎようとした
彼の手を掴んで止めた。
「おはよう、セブルス」
ジェームズが声をかけた瞬間、セブルスはその手をひどく乱暴に振り払った。
ジェームズは不審そうな顔でセブルスを見る。
彼がジェームズを嫌っていることは知っていたが、
こういう反応をされるのは初めてだった。
「何?どうかした‥‥」
「黙れっポッター!!」
ひどくヒステリックに叫んだ声には、ジェームズよりも周りの生徒の方がぎょっと
身をすくませた。
しかし怒鳴られた当の本人は全く動ずることなくセブルスを見返す。
セブルスが驚くほどその表情は常と変わりがなかった。
一片の躊躇もやましさもなくセブルスを捕らえた視線は、
いったい何をそんなに怒ってるんだと無邪気に問いかけていた。
そんなジェームズの反応に、もしかしたら昨日の光景は夢だったのではないだろうかと
セブルスはぼんやりと考えた。
夢だったのか、と。
考えれば考えるほどその方が納得できた。
あんなことがあるわけがない。あんな、獣と交わって快楽を貪るなどという恐ろしい行為を
彼がするはずがない。ただの夢だったのだ。熱に浮かされた自分が見た、
ただの愚かな悪夢だったのだ‥‥。
「セブルス?」
「‥‥何でもない」
本当に、何でもなかった。あれが夢だというなら何も動揺することなどない。
セブルスは幾分和らげた口調で授業に遅れるから失礼すると言うと、
ジェームズの隣を通り過ぎようとした。
しかし、ジェームズはすっと目を細めると拒む間もなくセブルスの耳元へ唇を寄せた。
「覗きなんて趣味が悪いな」
それだけを囁いたジェームズはすぐに身を離し、セブルスの肩をポンっと一度だけ叩くと
人ごみに紛れて
廊下の向こうに消えた。
時計は授業が始まる時刻を示して、廊下から人の気配がすっかりなくなってからも、
セブルスはその場から動かずぐったりと壁に身を預けたままその場に座りこんでいた。
誰かがその場にいれば、例えそれが彼を嫌っているグリフィンドールの生徒だとしても、
思わず大丈夫かと声をかけたに違いない。そんなプライドも何もかなぐり捨てて泣いている
彼を見て放っておける者はおそらくホグワーツにはいないだろう。
セブルスはこの学校に来て初めて泣いていた。
だがそれは昨日の彼の行為にショックを受けたからでも、
それを見ていたことを知られたからでもなかった。
彼はもっと彼自身の内面からの感情によって痛手を被っていた。
それはおそらくかなり以前から彼の内に巣食っていたものだ。
しかしこんな唐突に、それも最悪の形で自覚させられることになるとは考えもしなかった。
ジェームズの手を振り払ったのは汚らわしいと思ったからではなかった。
そうではなく、むしろその全く逆の、
自分自身でも理解出来ないほど荒々しい情動が触れられた瞬間に体を走ったからだった。
そしておそらくジェームズはそれに気付いたのだろう。
でなければあんな表情をするはずがない。あんな誘うような、昨日、
あの場所でみた光景と全く変わらぬ表情をするはずがない。
ジェームズは知っていたのだ。
自分があの獣と同じ下卑た感情を彼に抱いていたことを、
あの行為を見てどうしようもなく身体が疼いてしまったことを、知っていたに違いない。
今まで目を背けてきた自分の中の薄汚い欲望を認めざるを得ないことは、
何よりも激しく彼を打ちのめした。
だが、まだそれは始まりでしかないことにセブルスは全く気付いてはいなかった。
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