城めぐりを始めた頃は多くの方は有名な城や遺構が残っているとわかっている城址を訪れると思います。ところが立派な石垣や水堀の残っている近世の城郭とは違い、中世の城郭は石垣はほとんどなく、堀も空堀です。しかも山城は樹木に埋もれ平城は宅地化され、あるはずの遺構がわからないという方が多いのではないかと思います。
 ここでは城址に残る遺構がどのように存在するのか、また遺構を見つけるにはどこを見たら良いのかを述べていきたいと思います。 このなかで基本的な用語の解説もしていきたいと思います。
 ただし私もこの道の専門家ではないので、あくまでも経験をもとにした初心者向けです。


1.城址の場所

 ほとんどの中世城館跡は地図には載っていません。大きな城や有名な城がいくつか載っている程度です。
 専門家は古い文献や地籍図・地形図を照らし合わせて城の位置を探したりしますが、我々が訪れることができるような城址はほとんど調査済みですので、そこからスタートする必要はありません。一番手っ取り早いのは、その市町村の教育委員会や資料館で資料を手に入れることです。城址の正確な位置から、その城の歴史まで知ることができ、縄張り図まで手に入るかも知れません。
 県の教育委員会に問い合わせれば、県内の調査済みの城館を網羅した調査報告書を発行しているかもしれません。私も愛知県の中世城館調査報告書を入手しています。
 平野部の主な城址は残っていれば学校、お寺、神社、公園になっている場合も多いです。しかし、ほとんどは宅地となって姿を消しています。開発によって全く姿を消してしまったものもあれば、そのままご子孫の屋敷となっている場合もあります。そのまま屋敷地が残っている場合は屋敷の周囲や庭に土塁や堀の痕跡がある場合がありますが、正確な地番までわかっていないと見つけられないし、個人の家なのでちょっと行きにくいです。
 やっかいなのが山間部の山城などです。山ばかりで目印が何もないし、山の中に入ってみないとわからないので正確な位置がわかっていないと探すのは不可能に近いです。市町村によっては案内表示が充実しているところもありますが、ほとんどが何の案内もありません。場所がわかっていても隣の山に登ってしまったことも何度かあります。地元の方に場所を教えてもらったり案内してもらったりすることも多いです。
 最近ですと、グーグルマップで「城跡」を検索すると、かなりマイナーな城址まで見つかりますし、写真も掲載されていることが多いので非常に便利です。

2.城址探索の服装
 城址探索には服装も大切です。結構な距離を歩くことが多いので靴は運動靴系のものが良いでしょう。また城址は竹やぶや林となって残っていたり、山城などは山へ入るわけですから、夏などは虫刺され対策が必要です。経験済みの方もみえると思いますが、想像を絶するやぶ蚊の攻撃に遭います。やぶ蚊や蜂は暗い色が好きなので山城などに入る時は明るい色の服装にした方が良いです。マダニも心配です。とりあえず長袖・長ズボン・帽子が基本でしょう。それから普段、メガネをしない方は伊達でもいいからメガネがあると安全だと思います。整備されていない山城などは踏み込めないほどの雑木が茂っている場合があります。それをかき分けて歩くわけですから、小枝などで顔を突かれることもよくあります。
 また平野部と山間部ではずいぶん気候が違いますので、脱いだり着たりできるものがあると良いかと思います。3月頃に暖かい日なので軽装で出かけたら、山間部では寒くて指がかじかんでカメラのシャッターも押せないということもありましたし、逆に冬でも山を登ってたら暑くなって汗をかくこともあります。

3.持って行くと良いもの
 ただ単に城址を見てみたいという方は特には何も必要ありませんが、私の城めぐりグッズを紹介すると、筆記用具、デジタルカメラ、参考図書、縄張り図が主なものです。インターネットで周辺の地図を印刷していくこともあります。
 デジタルカメラは一眼レフよりもコンパクトタイプの方が使い勝手が良いと思います。山城では結構邪魔になりますし、斜面ですべって転倒することもあるので、ウエストポーチに入るぐらいが丁度良いです。一眼レフは扱いに慣れていないと、暗い森の中では一番手前の木にピントが合ってて他はピンボケなんてことも多いと思います。コンパクトタイプでも撮影モードがオートしかないものは、暗い森の中では自動的にフラッシュが発光して、手前の木だけ写って他は真っ暗という写真になります。最近のカメラは性能が良いので、高感度のフラッシュなしでも撮れると思います。
 縄張り図は山城などで遺構を確認するのはもちろんですが、写真を撮影するたびに撮った位置と方向を書き込んでおかないと、後で写真を見たときに同じような曲輪や土塁の写真ばかりで、どの写真がどの部分なのかわからなくなります。

4.季節
車に積もったスギ花粉(作手村の古宮城にて)

 城址探索のベストシーズンは早春(個人的には2月から4月頃)だと思います。クモや蚊などの虫もおらず、草の丈も低く樹木も葉が繁っていないので遺構などの確認がしやすいし、丈の低い草は遺構を緑に覆い見栄えも良いです。ただし山間部の山城はスギやヒノキの植林が多く、この時期は花粉症の方はお手上げです。
 夏は暑い、虫が多い、草が繁っている、など良い環境ではありません。整備されていない山城へ入るのは厳しいです。さらに丈の伸びた草は土塁や堀などの遺構を覆ってしまい遺構を見逃す原因となります。平野部の城址でも、わずかな堀が草で埋まっているということもあります。
 秋は晴天も多く活動しやすいですが、クモの巣が非常に多くなります。この時期のクモの巣の中心には必ずジョロウグモやコガネグモがくっついています。クモが苦手な人にはどうにもなりません。
 冬はとにかく寒いのが難です。山城などは雪があると危険です。太陽の高度も低いので影が多くなって写真の写りも良くありません。平野部にある城址では、土塁などを覆っている樹木の葉が落ちて見やすくなるという利点もあります。
 それから夏から秋にかけてはハチが多くなりますので、林などに入ってハチが飛んでいるのを見かけたら奥に入るのはやめましょう。蛇にも注意したいものです。

5.城址を訪れる
 中世の城郭を代表するものが山城や丘城です。山城とは文字通り山に築かれている城です。丘城とは丘陵部の一部を利用して築かれた城です。そして丘の全域に縄張りがされていると平山城といいます(ただし、城の形態について統一された定義はないそうです。)。
 戦国時代は山城や丘城が主流で(地域差はありますが)、ふだんは生活に便利な平地部の館に住み、戦の時は城にこもって戦うというスタイルが多かったようです。
 戦国大名の力が大きくなり政治・経済が発展してくると便の良い平野部に城が築かれるようになりました。これが平城です。権力の象徴として、また政治の中枢として大規模な城が築かれるようになりました。当然、山城と比べて攻撃されやすくなるので、大規模な石垣や水堀などが築かれるようになりました。よく言われるように山城、平山城、平城へと進化したのではなく、地域性、経済、政治、建築技術など様々な要素に従って、必然的にそういった形体の城が出現したにすぎません。平城といっても中世の領主の居館程度のものもあります。
 山城は平野部の城のように宅地化されたりして消滅することが少ないので、比較的、遺構が残っています。ただ樹木が大きく育ってしまって確認するのが困難な場合が多いです。教育委員会などが設置した看板に縄張り図が載せてあることが多いですが、それでもわかりにくいものです。
 平野部に築かれたものは、大きなものなら土塁や堀などがありますが、領主の居館程度のものだと何も残っていない場合が多いです。碑が立っていることがありますが正確な位置とはかぎりません。
 城址に残っている主な遺構がどんな様子なのか、次から述べていきます。

■曲輪(くるわ)
 近世の城郭(名古屋城や大坂城など)で本丸や二の丸といわれる場所ですが、中世の城郭ではその言葉は使われません。近世の城郭では当時から○○丸という名前がつけられていたようです。中世の城郭でも名前のついている曲輪もありましたが、地域によって様々なので基本的に曲輪という言葉を使います。ただし本丸にあたる中心的な役割を持つ曲輪は主郭と呼ばれます。
 山城で一番わかりやすい遺構は曲輪です。山の中に入って林道を歩いて行くと、時々平らになった部分があります。そこが曲輪の可能性が高いところです。縄張り図で確認できれば確実ですが、曲輪は建物が建っていたり、戦時に兵士が詰める場所であったりするわけですから、曲輪の周りは土塁や切岸などの防御機能が施されていることが多いので、それらが確認できれば間違いありません。ですから、逆に曲輪があると他の遺構も見つけやすいです。ただし山の中を歩いていると現在位置がわからなくなるので曲輪の位置関係もわかりません。その場合は、とにかく主郭まで到達してから、そこを基準に各曲輪を確認していくのが良いと思います。整備されている城址では曲輪の部分の木が伐採されていてよくわかるのですが、大抵の城址では木が繁っているのでわかりにくいです。
 平野部の城や館跡などは宅地化されている場合多いです。寺院や神社になっている場合は比較的曲輪の形状などが残っています。公園になっている場合はかなり手が加えられているので、公園の敷地をそのまま曲輪だと思うのは気が早いと思います。

整備された山城の曲輪(愛知県田峯城) 踏み込めない山城の曲輪(愛知県一色城)
形状のわかる平城の曲輪(愛知県沓掛城) 形状が確認できない曲輪(愛知県竹腰城)

■切岸(きりぎし)

かなりの急斜面にされた切岸(愛知県真弓山城)

 山城で曲輪らしき平坦地を見つけたら、その周囲を見てください。曲輪の周りは敵が容易に登ってこられないように人工的に急斜面が作られている場合が多いです。これを切岸といいます。切岸は必ずしも曲輪の下にあるとは限りません。敵が侵入しやすそうな所に単独で作られる場合もあります。
 ただし切岸が道路に面している場合は、それが道路を作る際に削られただけの場合があります。その場合は、その削られた部分が城の防御上必要な部分にあるか、道路を外れても続いているか、など注意深く観察しないとブルドーザーで削られたものを切岸だと思ってしまうかもしれません。
 もちろん、切岸は平野部の城でも見られます。


■堀切(ほりきり)
 山の一番登りやすい部分は尾根の部分です。ですから敵が攻めてくる時は尾根伝いに登ってくることが予測されます。そこで尾根の途中に堀を掘って寸断するのが防御上効果的です。これが堀切です。堀の底がV字形のものを薬研堀(やげんぼり)、底が平らなものを箱堀(はこぼり)といいます。平野部の堀は箱堀が多いですが、山城の堀切は薬研堀が多いです。
 堀切は整備された城でないとわかりにくいかもしれませんが、曲輪から続く尾根の部分がへこんでいたり、切岸が狭い間隔で向かい合わせになっているようなところがあれば、それが堀切だと思います。これも城の防御上必要な部分にあるかどうか判断しないと、例えば林業関係の人が道を通すために削っただけかもしれません。

堀切(愛知県羽布城) 草木に埋もれた堀切(愛知県伊保西古城)

■堀(ほり)
 堀は山城などではわかりにくい遺構の一つです。かなり大規模な堀でないと、それらしい跡を見つけても本当に堀なのかどうかわかりません。雨で土が流れたところも堀状になっているし、林業関係の人が通る道も堀状になっていることがあります。縄張り図などと照らし合わせてみれば確認できるのですが、それができない場合は一応メモなり撮影なりしておいて後から調べて見ると良いです。
 堀には縦に掘られた竪堀(たてぼり)と横に掘られた一般的な横堀(よこぼり)があります。
 竪堀はもともと堀切を山の斜面に沿って延長し、敵が堀切を避けて通れないようにしたのが最初でした。やがて単独で使われるようになり、主に敵の横方向への行動を妨げるものでした。そして究極の竪堀ともいうべき畝状空堀群が登場します。これは隙間なく竪堀を並べ山の斜面を覆ってしまうものです。これにより敵兵は横への行動を妨げられるどころか縦方向にまっすぐ登ることしかできず、守備兵にとっては真正面から向かってくる敵だけを討てば良いので非常に有利でした。
 横堀は一般的に堀といわれる時の堀です。山城では麓や曲輪を囲むように掘られることが多いです。
 堀は単独で存在することもありますが、大抵は曲輪を守るためのものですので堀よりも内に曲輪らしきものがない場合は堀ではないかもしれません。竪堀は雨水による侵食でできた地形と間違えやすいようです。また整備された城址でもないのに樹木の生えてないような堀は最近になって何らかの理由で掘られたものかもしれません。
 平野部の城址では堀が残っていれば見つけやすいと思います。宅地化されていると難しいですが、寺院や公園になっている場合はその周囲を歩いて見ましょう。例えば道路と公園の間が低くて幅の広い堀状になっている、寺の裏に細長い池や沼地がある、付近は畑ばかりなのに城跡の周囲だけ水田になっているなど、あやしい地形に気付くと思います。また堀跡を利用して水路などが作られている場合もあります。そういうものがあって、なおかつその城址に堀が残っているとわかっていれば、それらが堀跡である可能性は高いと思います。ただし神社の結界として堀が掘られることもあるので、堀があったとしても昔の堀がそのまま残っているかどうかわからないこともあります。

わずかに残る空堀(愛知県岩略寺城) 巨大な空堀(静岡県諏訪原城)
神社の裏に残る堀(愛知県山崎城) 竪堀(愛知県山中城)

■土塁・石塁
 土塁・石塁は敵を防ぐ壁といえば良いのでしょうか。土を盛って作れば土塁、石を積んで作れば石塁。万里の長城は巨大な石塁です。土塁は曲輪を作るために削った土や堀や切岸を作るために掘った土をそのまま盛って作ります。曲輪を作るときに周囲を削り残して土塁にすることもあります。ですから、ほとんどの場合は曲輪の周囲にあります。城址を訪れたら曲輪の周囲を見てみましょう。高さ数メートルの一目瞭然で存在するものもあれば、ごく一部だけ残っていて土塁に見えないものもあります。風雨にさらされて高さが数十センチ程度になっているものもあります。また樹木が繁っていることがあるので、城址の周囲に林や竹やぶがあったら中をのぞいて見ましょう。
 石塁は土や草に覆われて石が見えにくいこともありますが、土塁と違って地面から垂直に盛られていることが多いので、注意して見ましょう。

曲輪周囲に残る大土塁(愛知県伊奈城) 宅地付近に残る土塁(愛知県牧野城)
竹やぶの中に土塁が残る(愛知県徳永城) 草に覆われた石塁(静岡県宇津山城)

■井戸

山城の井戸(愛知県松平城)

 井戸は地下水を汲み上げるためのものですが、実際のところ、そのへんの小山程度では大した水脈が通っているはずもなく、雨水をためる貯水槽として掘られることも多かったようです。井戸は大抵が深さ数十センチのところまで埋まっていますが、中には数メートルの深さのものもあります。誰もいない、携帯電話の電波も届かないような山で落ちたら危険です。とくに山城では草に覆われて見つけにくいものもあるかと思います。

6.遺構のほとんどない城址
 山城は遺構が残っていることが多いです。少なくとも曲輪は必ず残っています。しかし平野部の城は開発の波にのまれ、遺構が残っていないことが多いです。もしかすると住宅街の中に城址の石碑や看板が建てられているかもしれません。しかし見つけるのは正確な場所を知らないと困難です。今でも民家となっている領主居館などは個人宅なので、そういったものがない場合が多いか、あっても他人の家の庭です。本人の了解をもらって訪れるしかありません。
 平野部では開発が年々進んでいくので、書籍などで遺構が残っていると載っていても、行ってみると宅地になっていて全く何も残っていないこともあります。
 仮に石碑や看板を見つけたとしても遺構は残っていません。しかし城の存在を感じることはできるかもしれません。例えばそこに立って周囲を見渡してみましょう。実はそこが見晴らしの良い、築城に適した地形であると気付くかもしれません。また離れた位置から城址付近を見てみましょう。その部分だけ土地を盛って高くしてあるかもしれません。これも城址の見方の一つです。ただし市街地付近の城址の石碑は、本来の場所から移動していることがあります。

遺構はないが雰囲気は残る
(愛知県鴛鴨城)
石碑以外に何の痕跡もない城址。
本来の城の位置とも異なる。(愛知県陸田城)

 以上、私流の城址探索法ですが、またいろいろと手を加えて充実させていきたいと思います。
 城址を訪れたら必ず周囲を一周してみて下さい。そして、怪しいと思うものはとにかく写真に撮っておくと良いかと思います。