本証(證)寺
ほんしょうじ

■所在地:安城市野寺町 ■立地:平地 ■別称:― ■築城年:1206年頃 
■築城者:
― ■遺構等:堀、土塁

本証寺の堀と鼓楼 境内
鼓楼 境内南側の堀

■歴史
 1563年に起こった三河一向一揆の中心となった。原因は徳川家康の臣菅沼定顕が岡崎の上宮寺より糧米を徴収したためで、三河統一を図る家康にとって最大の試練となった。一揆はたちまち西三河一帯に拡大し、門徒の中には家康の家臣も多く加わり、苦戦した。
 翌年に家康は和議を結んだが、その後に弾圧に乗りだし寺院の多くを破壊した。
1583年になると弾圧も解かれ、本証寺にも保護が加えられた。
●現状(1998年11月)

 県内の城郭寺院の代表格で、現在でも境内に内堀が残り、外堀も一部残っている。また、鼓楼はどう見ても近世城郭の隅櫓である。寺の裏手には一部だが土塁も残っている。
 一揆の拠点となった寺院は徹底的に破壊されることが多かったが、この寺は遺構がよく残っている。駐車場が見つからなくて困ったが、大きな寺なので、どこかに駐車場があったかもしれない。

◆場所

 所在地は安城市の西南部にある野寺町で、国道23号線の藤井インターの1.2キロほど東にある。道路マップなどでも本証寺と掲載されていると思うので、容易にみつけることができると思う。