保科正直邸
ほしなまさなおてい

■所在地:安城市山崎町大手  ■立地:台地端 ■別称:保科城 ■築城年:1584年頃
■築城者:
保科正直 ■遺構等:曲輪、説明板

保科正直邸(正法寺) 正法寺境内にある土塁状のもの
■歴史
 保科正直は初め武田氏に仕え、高遠城(長野県)城主であった。武田氏滅亡後は北条氏についたが、1584年の小牧・長久手の合戦の頃には徳川家康についた。そのため、北条氏のもとにいた妻子は殺害された。
 家康は正直を三河へ呼び寄せ、山崎に領地を与えてこの地に館を築かせた。正直は1590年の家康の関東移封までここに居住した。

●現状(2006年12月)

 安城市山崎町の正法寺が居館跡である。寺の東側の山門に説明看板がある。寺の塀はほとんどの漆喰が剥がれ落ち、所々、塀自体が崩れている。まるで、かつての屋敷がそのまま残っているような雰囲気である。
 寺はこの辺りで一番高いところに建っており、さらに境内は周囲より2メートルぐらい高くなっており、切岸状になっている。山門をくぐると両側に土塁状の土盛があるが、土塁の跡なのかどうかはわからない。


◆場所