現在も太田氏のお屋敷ということで中へは入っていないが、黒壁の見事なお屋敷である。西から北側に200メートルにわたって堀と土塁があるが、これは太田主計・左馬之介時代の城館遺構ではなくて、江戸時代に屋敷を洪水から守るために築かれたものだそうである。なるほど、現在でも矢作川の右岸数百メートルに位置しており、実際に洪水も多かったことだろう。