東端城
とうはたじょう

■所在地:安城市東端町 ■立地:台地端 ■別称:― ■築城年:1580年
■築城者:長田尚勝 ■遺構等:曲輪・土塁・看板

城址遠景 城山稲荷(左側が土塁)

■歴史
 1580年に長田尚勝が築いた。尚勝の弟永井直勝は徳川家康の長男信康に仕えたが、信康が二俣城(静岡県天竜市)で自害した後は家康につかえた。
 その後、小牧長久手の合戦で秀吉方の池田恒興を討ち取り、その功で東端城の城主となった。以後も関ヶ原や大阪の陣で活躍し、常陸国(茨城県)の笠間城主となり、東端城は廃城となった。
●現状(1999年8月)

 安城市と碧南市の境近くにある東端町(ひがしばたちょう)の城山稲荷付近が城址で、説明の看板も城山稲荷にある。城山稲荷の隣にあるブドウ畑が主郭跡で、中へは入らなかったが、周囲を一辺数十m、高さ数mの大規模な土塁が方形に囲んでいる。これだけ規模の大きな土塁はなかなか見られない。古絵図を見ると、いくつもの曲輪が横に連なっているが、その様子は周辺を歩いてみたが、よくわからなかった。
 土塁は周りから見ると切岸のように見えるが、城山稲荷で土塁とはっきり確認できる。城山稲荷が高い位置にあるのでその横の土塁は高さを感じないが、そこから中を覗くとブドウ畑が低い位置に見える。
 できれば冬にもう一度訪れて、もう少し詳しく見てみたい。

◆場所

 安城市と碧南市の境に油ヶ淵という大きな池がある。その油ヶ淵を渡る県道45号の見合橋を基点にして、東へ1キロほど走ると県道45号が左側へ緩やかにカーブしており、そのあたりの道路沿い左手に樹木が茂っている。そこが城址であり、そこを越えたところで左折すると、念空寺というお寺があり、その前が城山稲荷である。