蒲形陣屋
かまがたじんや

■所在地:蒲郡市本町 ■立地:段丘上 ■別称: ■築城年:1612年
■築城者:
松平清昌 ■遺構等:土塁、移築門

陣屋内の様子 西側に残る土塁
土塁と民家の隙間は堀のあった名残か 蒲郡市博物館に移築されている門

■歴史
 竹谷松平氏は1612年に吉田藩主・松平忠清の弟・清昌が5千石の領主として蒲形に移り、陣屋を構えた。以後、明治まで存続した。

●現状(2006年2月)

 場所は県立蒲郡高校の南側で、高校の南門あたりから南側を見ると、宅地の間に大きな木が茂ったところが見える。そこが陣屋跡である。
 どこから行けるのかわからず、最初は高校前から南へ入る道も畑のところで行き止まりだと思って引き返し、その後、陣屋跡の木立を遠目に見ながら周囲を歩き回ったがなかなか道が見つからなかった。南側の民家と民家の間の小道も奥に民家の門が見えていたので最初は無視していたが、たまたま自転車に乗った子がその道へ入り、民家の前で曲がったので道が続いていることがわかった。その道を進むと民家の後ろに巨大な土塁が見えており、家の前にいたおばちゃんに道を確認して陣屋跡の中心まで行くことができた。
 畑ではおばあちゃんが畑仕事をしていたので、「おばあちゃんは、松平さん?」と尋ねたら、耳が遠いようで補聴器を耳に押し込みながら「ここのうちがそうだよ。手前が新しい家で、その後ろが昔の家だよ。」という答えで、おばあちゃんが松平さんなのがどうかはっきりしなかったが、いろいろ話を聞いて「そこに庭池があって、あっちに堀があったよ。」などと昔の様子を教えてくれた。
 敷地の西側の土塁が良く残っていて、外側は地形が低くて高低差がかなりある。南西隅の土塁の南にある民家との間に数メートルの隙間があり、昔は堀があったんじゃないかという雰囲気を残していた。
 陣屋の大手門と言われている門が蒲郡市博物館に移築されている。これは明治初期に御津町へ移築されたものを平成3年に再び蒲郡に移したものである。


◆場所

 高校の南門の前あたりから南方向へ行ける道があるのでその道へ入ると畑にぶつかる。右側の道から回り込んで畑の南側へ抜けると民家があり、そこは松平氏のご子孫宅である。この邸宅周りの道を東側へ出ると邸宅の南側に畑が広がっており、その畑の向こう(西側)に土塁が見える。