|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
■歴史 |
||||||
鵜殿氏は鎌倉時代頃からこの地へ来たといわれているが、応仁の乱前後に三河で勢力を伸ばしてきた今川氏に従い急速に勢力を伸ばした。しかし、1560年に今川義元が桶狭間で討ち死にすると、三河の諸将はことごとく松平氏に従ったが、上ノ郷鵜殿氏と大塚岩瀬氏は今川氏に従った。そのため、鵜殿氏は分家した鵜殿氏とも争うこととなった。 1562年、松平元康(徳川家康)は上ノ郷に兵を出したが守りが堅く、ついには忍者を忍び込ませて城内に火を放ち、混乱に乗じてようやく城を落とすことができた。城主長照と弟の長忠は討ち死にしたが、長照の子氏長と氏次は捕虜となり、後に家康に仕えた。 |
||||||
●現状(2001年3月) |
||||||
遺構は、主郭付近は土塁や堀などが良く残っているが、その周囲はミカン畑として整地されたのか曲輪なのか見分けがつかない。主郭や堀にもミカンの木がある。 |
||||||
◆場所 |
||||||
![]() 蒲郡市神ノ郷町の西部小学校の北300mほどのミカン畑の中に城址はある。駐車場がないので、近くの西部公民館に止めて歩くのが良い。 |
||||||
![]() |