城址のある丘は、ちょうど新幹線の線路に分断されていて、北と南のどちらが主なのかもわからない。北側は上にみかんのハウスのようなものがあり、南側は竹が茂っていてとても中へ進めなかった。でも、少しだけ中へ入るとすぐに平坦な部分があり、曲輪なのかもしれない。 ただ、県の調査によると明確な城址の遺構は認められず、柏原城伝承地という扱いになっている。