竹谷城
たけのやじょう

■所在地:蒲郡市竹谷町泉 ■立地:丘陵 ■別称:■築城年:1548年頃
■築城者:
松平守家 ■遺構等:曲輪、土塁、堀、碑

西側から見た城址 城址碑
主郭の様子 入り口

■歴史
 松平家三代・信光の嫡子、守家は1548年に竹谷の牧山喜三郎から土地を買って城を築き、竹谷松平氏の祖となった。
 以後、守親、親善、清善と続き、1560年の桶狭間の戦後、松平元康(徳川家康)が今川氏から独立すると三河諸将は元康に従い、竹谷松平氏も今川氏から離れたため、人質として出されていた清善の娘は殺害された。
 五代・清宗は家康と同年代で常に家康に従い、三河一向一揆や、三方ヶ原の戦い、長篠の合戦、小田原攻めなど主要な戦を経験している。
 六代・家清は家康の一字を賜っている。1590年に家康の関東移封に従い、1600年には吉田城主として三河へ戻ってきた。
 七代・忠清は二代将軍秀忠の一字を賜っている。1602年に吉田城で亡くなると、子がなかったために竹谷松平氏は断絶した。しかし、弟の清昌が継いで下ノ郷に屋敷を構えて、以後、明治まで存続した。
●現状(2005年1月)

 城址は小学校の真東に見える竹やぶなのでわかりやすいが、入り口がわからない。城址の東側の民家の奥に城址の案内看板が出ているので、注意して見ないと見落とす。
 城址に入ると竹やぶだが、通路は確保されている。ここは主郭の南端ぐらいのところで、左手に堀があるが、竹が密生していて相当無理しないと見に行けない(実際、行けなかった)。間伐などした後なら大丈夫かもしれない。入り口から入ってすぐに城址碑石が立っているが、竹に囲まれているので、正面から写真を撮ることができなかった。しかし、すぐ北側は広いミカン畑になっている。主郭の北側には土塁と虎口が残っているが、このあたりも竹やぶである。
 主郭の南側には一段下がって曲輪がある。この曲輪は城址南側の道路から入れるが、入った先にある建物が民家なのか小屋なのか道路からはわからなかったので行かなかった。

◆場所

 蒲郡市役所の西800メートルほどのところにある塩津中学校から東に見える小高い竹やぶが城址である。入り口は見つけにくいが、城址の東側にある民家と民家の間の奥に看板が立っている。道沿いにあれば見つけやすいのにと思う。