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■歴史 | ||||||||
1790年に起こった百姓一揆によって、刈谷藩は幕府から村替えの処分を受け、重原村、野田村、半城土村など18か村が、奥州の福島領・幕府領となった。福島藩はこの地を支配するために陣屋をおいた。 福島藩は戊辰戦争の時に奥羽列藩同盟に加わったために領地没収となったが、1869年に三河国に150か村を与えられて重原藩が誕生し、再びここを陣屋として治めたが、1871年に廃藩となった。 |
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●現状(2005年11月) | ||||||||
刈谷駅の東1キロほどのところに浄福寺があり、お寺の南側に「重原陣屋跡」の碑と「従是東福嶋領」の碑がある。実際の陣屋は寺の南にある公民館やJAのあたりということである(写真撮り忘れた)。「従是東福嶋領」とは「これより東、福島領」ということである。福島領があった当時は福島領の東海道筋の西の端に立っていたそうだ。ちなみに、知立市の上重原公民館(上重原城址)の裏には「従是西福嶋領(これより西、福島領)」の碑がある。 |
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◆場所 | ||||||||
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