岡山城
おかやまじょう

■所在地:吉良町大字岡山字砦山 ■立地:丘陵上 ■別称: ■築城年:
■築城者:
■遺構等:曲輪

城址遠景
■歴史
 東条吉良氏の家臣、富永忠元の居城である。
 東条吉良氏は今川氏に属していたが、1560年に桶狭間で今川義元が織田信長に討たれると、三河の覇権を狙う松平元康(徳川家康)と吉良義昭が争うようになった。1561年に忠元は家康方の上野城(豊田市)を攻めた後、東条城に入った。やがて東条城が包囲されると手勢を率いて藤波畷へ出撃し、徳川方の本多広孝・酒井正親と戦って敗死した。忠元の武勇は敵味方に知られ、忠元戦死の報を聞いて敵味方とも「落城は近い。」と言い合ったと言われている。
 吉良義昭はこの戦いで敗れた後に許されて岡山城の居館に住んだが、1563年の三河一向一揆の際に再び家康に背いて敗れ、この地を去った。
 後に吉良義彌の次男、岡山彌清が居城した。

●現状(2007年2月)

 吉良家菩提寺の華蔵寺の西600メートルほどにある丘陵上に城址があります。砦山という地名も残っています。城址西側の谷間にある宅地付近に居館があったと推測されています。
 城址近くに住んでいるおじいさんに城址のことを尋ねたら全く知らなかったようで、ここじゃなくて華蔵寺の裏山がそうだと教えてくれました。


◆場所