岡山陣屋
おかやまじんや

■所在地:吉良町大字岡山字殿町 ■立地:平地 ■別称:吉良陣屋 ■築城年:16世紀後期
■築城者:
吉良義定 ■遺構等:説明板、模擬門

陣屋跡 吉良義央公像
吉良家の菩提寺、華蔵寺 吉良公の築いた黄金堤
■歴史
 吉良義定が居館を築いたとされている。義定は今川氏によって駿河で幽閉されていた義安の子で、義安の妻・俊継尼は徳川家康の祖父である松平清康の娘である。義安が幽閉先で死去した後、子の義定を連れて吉良に帰り瀬戸に住んだ。1579年にたまたまタカ狩りでこの地を訪れた家康は伯母の境遇を知り、義定を取り立てて瀬戸・岡山200石を所領させ、さらに鳥羽300石を加増した。義定は岡山に居館を築き、関ヶ原の合戦後は陣屋となった。
 義定の後は義弥、義冬、義央と続いたが、1702年に義央が赤穂浪士に討たれて吉良氏は断絶した。
 その後、旗本の津田氏が陣屋を置いて明治を迎えた。

●現状(2007年2月)

 吉良家菩提寺の華蔵寺の前の道路を東へ400メートル程進むとアパートの隣に陣屋跡があります。
 陣屋跡には模擬門があり、門をくぐると赤馬に乗った吉良義央公の像があります。この吉良公の像は町内の吉良公ゆかりの地にいくつも設置されており、探してみるのも面白いかもしれません。
 赤馬に乗って領内を巡視したという吉良公は領民にも慕われ、治水事業や新田開拓に力を注ぎ吉良を発展させたことから、現在でも地元の人々に尊敬されています。ただし、吉良公は江戸詰めの旗本なので吉良に実際にいたことはほとんどなく、忠臣蔵の敵役として汚名を着せられた領主の名誉回復を願う気持ちが作り上げた名君像ともいえます。
 西尾市と接するあたり、県道42号線沿いには吉良公が築いた黄金堤が現存しています。また、このあたりは1561年に松平氏と東条の吉良氏が争った際の合戦地である鎧ヶ淵古戦場でもあります。このあたりは当時は沼地で、吉良氏に敗れた松平勢が沼地に追い込まれ多数が討ち死にし、後々まで沼から鎧などが出てきたために鎧ヶ淵といわれるようになったそうです。ここには駐車場やトイレもあり、堤には桜が植えられているので、桜の時期には賑わいそうである。
 吉良町は車で走っていても何故だかとても気持ちがいいです。これは歴史をとても大切にしているまちに共通する感覚です。


◆場所
 華蔵寺  黄金堤
陣屋跡