高力城
こうりきじょう
■所在地:
幸田町大字高力字熊谷
■立地:
台地端
■別称:
−
■築城年:
室町時代前期
■築城者:
−
■遺構等:
碑
城址碑
■歴史
仏高力といわれた岡崎三奉行の高力清長の代々の居城である。清長は1590年に岩槻城2万石の城主となった。
●現状(2002年5月)
幸田町大字高力の山泉寺の北側付近が城のあった場所といわれているが城域ははっきりしない。相見川を渡る熊谷橋のほとりに城址碑が建てられているが、城のあった形跡は何も見られない。
◆場所
国道248号線を岡崎市から南へ向かうと幸田町へ入るが、幸田町へ入って2キロほどのところに坂崎小学校があり、その前に「弁天」交差点があるので右折する。次に「坂崎柳原」交差点があるので左折する。しばらく進むと右手に高力神明宮と山泉寺があり、そこを越えたあたりにバス亭があって右へ入る横道がある。横道へ入るとすぐに城址碑が立っている。