坂崎陣屋
さかざきじんや

■所在地:幸田町大字坂崎字御屋敷 ■立地:平地 ■別称:大久保陣屋 ■築城年:1614年
■築城者:
大久保忠教 ■遺構等:説明板、石垣

陣屋跡(現:八百富神社) 陣屋石垣
■歴史
 大久保彦左衛門で知られる忠教は、岡崎の上和田で生まれた。大久保氏は徳川家康に仕えて家康の天下統一に大きな功績があった。忠教も兄の忠世や忠世の子・忠隣を補佐し各地を転戦した。
 1613年に一族の大久保長安が死去すると、長安の不正蓄財などの罪により長安の庇護者であった忠隣が失脚した。一族の忠教も改易されたが、1614年に家康直参の旗本に取り立てられ、わずかに三河国額田1千石を拝領し、この地に陣屋を置いた。
 家康の死後も秀忠、家光に仕え、1千石を加増され竜泉寺、羽栗、桑谷を拝領した。
 後に常陸国鹿嶋(茨城県鹿嶋市)に300石を移し、三河物語を執筆しながら余生を送った。
 忠教は天下のご意見番として知られるが、実際には後世に残っているような逸話はなく、実直で太平の世になってからも武士らしさを貫き通した生き様が、そのようなヒーロー像を作り上げたとされている。

●現状(2008年8月)

 大久保忠教といえば、ちょうど中日新聞に宮城谷昌光氏の「新三河物語」が連載されており、宮城谷ファンの私は、毎日読むのを楽しみにしていたところです。自分の中の知名度では忠世や忠隣に隠れていた忠教ですが、この新三河物語を読んで一気に形勢逆転です。
 この付近は何度か通ったことのある道ですが、今まで全く無関心でした。
 陣屋跡は現在の八百富神社ですが、神社の正面には陣屋の石垣とされる石垣が残っています。陣屋の前の草むらも若干低くなっており、堀跡を感じさせるものでした。

 家康の天下統一のために活躍した大久保一族ですが、忠教がわずかに1千石とはなんとも寂しい気がします。新三河物語にも書かれていたように、家康も老いてからは秀吉と同じなのだろうと思いました。


◆場所