大久保忠教といえば、ちょうど中日新聞に宮城谷昌光氏の「新三河物語」が連載されており、宮城谷ファンの私は、毎日読むのを楽しみにしていたところです。自分の中の知名度では忠世や忠隣に隠れていた忠教ですが、この新三河物語を読んで一気に形勢逆転です。
この付近は何度か通ったことのある道ですが、今まで全く無関心でした。
陣屋跡は現在の八百富神社ですが、神社の正面には陣屋の石垣とされる石垣が残っています。陣屋の前の草むらも若干低くなっており、堀跡を感じさせるものでした。
家康の天下統一のために活躍した大久保一族ですが、忠教がわずかに1千石とはなんとも寂しい気がします。新三河物語にも書かれていたように、家康も老いてからは秀吉と同じなのだろうと思いました。
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