伊奈城
いなじょう

■所在地:小坂井町大字伊奈字柳 ■立地:平地 ■別称:■築城年:15世紀中期頃
■築城者:
本多定忠 ■遺構等:曲輪、土塁、碑、模擬櫓、復元堀

城址全景
土塁上に建つ城址碑 主郭に残る高さ5メートルほどの大土塁
復元された堀と模擬櫓 徳川家三葉葵紋の由来となった葵

■歴史
 1529年、本多氏四代正忠は、松平清康の吉田城・田原城攻めに従い戦功をあげた。伊奈城へもどり戦勝祝いをした際、正忠が酒の肴を水葵の葉に盛って出したところ清康は大いに気に入り、葵の紋を家紋とする本多氏の協力で勝てたこともあり、これを吉として葵の紋をもらい松平家の紋とした。これが徳川家三葉葵紋の起源といわれている。※三葉葵紋の起源は諸説あります。

●現状(1998年10月)
 城址は東海道新幹線の線路沿いの南側に位置しています。城址の周囲は田畑が広がっており、遠くからでも目立ちます。城址の規模は主郭が残っているだけとはいえ、なかなかの規模です。
 一番の見所は、高さ長さともに平野部の城址としては一級品の大土塁です。周囲の現状を思うと、よくぞ開墾で失われなかったと思います。土塁の上には城址碑が建っていますが、その付近の土塁は人が登った跡で階段ができてしまっています。私も城めぐりを始めた頃は土塁があるとついつい登ってしまったものですが、やはり保存の観点からは避けるべき行動だと思います。
 城址には物見櫓が復元されていますが、おそらく、戦国の城にはこういう物見櫓があったということで建てたのだと思いますが単発的で違和感があります。堀も復元されており、堀から発掘された逆茂木も復元されていいます。しかし、堀自体は当時の様子の復元とはいえず(整備や安全上の理由があるので仕方ないですね)、城址を保護するために周囲を固めている石垣も玉石や一部切石などが使われていて、やや不自然です。
 新幹線の線路を挟んで東側には、葵の紋の由来である「花ヶ池」も現存?しています。

◆場所

 小坂井町役場を起点とすると、役場正面の道を右へ進むと「古当」というT字交差点があるので右折する。2キロほど進むと「柳橋東」交差点があるので左折する。そのまま南へ向かって進むと、東海道新幹線の線路と交差する手前に永正寺というお寺があり、そのお寺を越えたところで右へ行く横道があるので右へ曲がる。新幹線の線路をくぐると、右前方に模擬櫓が見えるはずである。城址のすぐ前の道を東へ向かって新幹線の線路をくぐると花ヶ池がある。