西方古塁
にしかたこるい

■所在地:御津町大字西方字中屋敷 ■立地:平地 ■別称:西方村古屋敷 ■築城年:1590年
■築城者:
森寺忠勝 ■遺構等:堀、土塁、看板

土塁とわずかな堀が残る
土塁内側

■歴史
 1590年に吉田城主・池田輝政の家臣である森寺忠勝がここに居館を構え、御津の支配にあたった。その後、池田輝政が姫路に転封となるとこれに従い空屋となったが、その後、吉田藩主松平忠利の弟・忠貞が入り、家臣の鈴木茂勝が拝領した。やがて松平氏は江戸へ移るが、鈴木氏はこの地に留まり帰農した。現在も御子孫の屋敷となっている。
●現状(2004年3月)

 JR東海道本線の愛知御津駅の南300メートルほどの住宅街の中に城址がある。付近は宅地開発が進んでいるところで、新しい家や道路が目立つ。
 土塁は、高さ数メートル、長さ30メートル程度残っているのみで、土塁の南側は幅数メートルの浅いくぼ地になっており、堀跡と思われる。土塁の前にはフェンスと看板があるが、看板の字は剥げ落ちて読めない部分もある。
 かつては、南北約330メートル、東西約220メートルの広大な敷地であったらしい。

◆場所

 JR東海道本線の愛知御津駅を起点とすると、駅のすぐ南側にJAのAコープがある。その南側の道路を東へ向かうと、JAに隣接して忠勝禅寺があり、お寺へ入る道と反対側へ入る道があるので、そこを右折する。120メートルほど行くと右に横道があるので右折する。70メートルほど行くと左側に公園があり、その更に左側が古塁である。