茂松城
しげまつじょう

■所在地:御津町大字広石字高坂 ■立地:山頂 ■別称:高坂城 ■築城年:
■築城者:
■遺構等:曲輪、堀、土塁、井戸

御津高校の向こうの山が茂松城 高校の西にある桜

■歴史
 城主としては細川勝久、牧主計らの名が残されている。牧主計は今橋城(吉田城)の牧野古白の六男である。
 1562年に松平元康(徳川家康)によって長沢の松平康忠の所領となり、1590年まで長沢松平氏が支配した。

●現状(2004年3月)

 御津町にある県立御津高校のすぐ東に隣接する比高50メートルの小山の山頂が城址である。山の高校側が最短距離で城址に行けそうであったが、道路沿いにロープは張ってあり、また、雑木も多くて入りづらかったので断念した。部活中の高校生の往来が多くて人目を気にしてしまったというのが正直なところである。
 城址は、主郭と土塁、虎口に付帯する曲輪程度の単純な構造で規模も大きいものではないが、県内で最大級の直径3メートルの井戸跡がある。深さも数メートルあるそうで、落ちたら出られないので訪れる人は注意が必要である。

 高校の前の道路を歩いている人がやたらと多く、何か催しでもあるのかと思っていたが、高校の西側に古墳があって、桜が満開で大変素晴らしく、そこで花見をする人たちで賑わっていた。


◆場所