たけもとじょう |
■所在地:御津町大字広石字竹本 ■立地:平地 ■別称:新宮古城 ■築城年:−
■築城者:高田政季 ■遺構等:碑、堀、土塁 |
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城址東側にある碑 |
城址東側部分 |
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城址西側部分の北面 |
城址西側部分の北側の堀跡利用らしき水路 |
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■歴史
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城址の案内看板によると、太平記でおなじみの新田義貞の臣、高田薩摩守の二男・政季がここに居を構え竹本氏を名乗った。その後、竹本成久の時に主家の今川義元が討ち死にしたため、成久は帰農したという。
その後、長沢の松平氏の所領となると山田晴政が城主となった。後に山田晴政は、長沢松平氏を継いだ家康の六男・忠輝の家老となったが、忠輝は将軍家謀反の疑いや大坂夏の陣への遅参などで家康の怒りを買い、流罪となった。 |
●現状(2004年3月) |
城址の碑が建っている場所は地形的にも数メートル高くなっており、城址の雰囲気がある。
県道を挟んで反対側の宅地も城址の一部であり、どちらかというと、こちら側が大部分である。こちらもさらに数メートル高い土地となっており、北側は切岸状となっており、水田との境目には堀跡を利用して作られたと思われる水路がある。
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◆場所 |

御津北部小学校の前の広石の交差点を東へ400メートルほど進むと、道路右側に御堂がある小高い土地がある。そこが城址の一部で立派な碑が建っている。道路を挟んで西側の小高い宅地も城址の一部である。 |
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