福谷城
うきがいじょう

■所在地:三好町大字福谷字市場 ■立地:丘陵 ■別称:■築城年:15世紀頃−
■築城者:
原田右衛門 ■遺構等:曲輪、土塁、堀、看板

福谷城主郭と土塁 城址
わずかに堀の形跡が残る 主郭西側の地形はただの切通し(堀跡はもっと右)

■歴史
 織田氏・今川氏の攻防の中で、後の徳川四天王の一人、酒井忠次が織田氏に備えて改修し守ったことがある。1556年、柴田勝家率いる織田軍に攻められると、大久保忠佐、阿部忠政らが救援に来て、弓の名手である忠政が勝家を弓で射て撃退した。

●現状(1999年3月)

 三好町城山保育園の隣に城址があり、主郭付近が残されている。発掘調査では、主郭のすぐ南の現在民家が建っている曲輪から茶碗などが大量に出土し、居館とセットであったことがわかっている。主郭は、元からそうだったのか雨で土砂が流されたのかわからないが、傾斜になっている。3方向にコの字型に土塁も残っていて、土塁の高さはかなり低くなってしまっているが、その外側の切岸はかなりの高さになっている。周辺には民家があるが、堀の跡も確認できる。このあたりに住んでいる知り合いに聞いたら、昔はかなりの幅と深さで堀があった記憶があるとのことだった。


◆場所
三好町の城山保育園のすぐ南に隣接している。