荒川城
あらかわじょう

■所在地:西尾市八ツ面町市場 ■立地:台地上 ■別称:八ツ面村古城 ■築城年:
■築城者:
■遺構等:土塁

道路で分断されている土塁

■歴史
 東条義弘は、1527年頃に東条吉良氏より独立し、戸ヶ崎氏から分流した荒川氏の荒川城を受け継ぎ荒川氏を名乗ったとされる。
 1561年に吉良義昭が家康と争った際に家康に属して功を立てたが、1563年の三河一向一揆の際には一揆方に加わり滅ぼされた。
●現状(2002年5月)

 西尾市八ツ面町の八ツ面小学校の北一帯が城のあった場所で、小学校の北の集落内を歩くと民家の敷地がそれぞれ館城のような雰囲気を残しており、一部の土塁も残っている。実際、県の調査によると複数の館の集合体であったらしく、その様子がよくわかる。とにかく、右も左も城址のような地形で、土塁以外は城址と断定できるものがわからない状況である。

◆場所

 西尾市八ツ面町の八ツ面小学校から北側に隣接している宅地のあたり一帯が城址である。