牟呂城
むろじょう

■所在地:西尾市室町上屋敷 ■立地:丘陵上 ■別称:室城 ■築城年:16世紀初期
■築城者:
富永正安 ■遺構等:曲輪、土塁、碑

牟呂城址遠景 城址碑

■歴史
 富永氏は吉良氏譜代の家臣であり、家康の東条城(吉良町)攻めの際には北の最前線として松平勢と戦った。1561年の藤波名和手畷の戦いで吉良氏の敗北は決定的となり、吉良氏は家康に降った。この時、牟呂城主の富永忠元は討ち死にした。
 この城には家康の父・松平広忠が滞在したこともある。松平清康の死後、織田信秀に岡崎を攻められた広忠は難を逃れて伊勢・遠州を転々とした後、吉良持広の世話になり、牟呂城へ滞在した。
●現状(1998年11月)

 現在、城址には林松寺がある。林松寺は富永正安の建立と伝えられている。
 寺の裏山は墓地になっているが、頂上には主郭らしき平坦部があり、墓地の周囲は若干であるが土地が高くなっており、土塁の跡だと思われる。その土塁上に粗末だが城址碑がある。
 林松寺の東には神明社があり、蔵屋敷の場所とされている。

◆場所

 西尾市室町にある室場小学校から200メートルちょっと北にある林松寺のあたりが城址である。