糟塚砦
かすづかとりで

■所在地:西尾市平原町城山 ■立地:丘陵端 ■別称:■築城年:
■築城者:
■遺構等:

城址付近

■歴史
 城主・小笠原長茲は幡豆小笠原氏の一族で、1561年の東条城攻めのときに家康に従って戦功を立てた。
1590年、家康の関東移封後は名を宗忠と改め、家康四男の松平忠吉の補佐役となった。宗忠は、利根川治水を命じられた忠吉を助けて現場で指揮をとった。
 関ヶ原の合戦後、忠吉が清洲城に転封に従い、犬山城主となった。その後、笠間城主を務め、1607年に亡くなった。
●現状(2002年5月)

 城址は、遺構などは残っていないと思われるが、民家の敷地だけがかなりの高台になっており、その周囲は田畑が広がっている。宅地造成や周囲の開墾によって旧態を留めているとは思われないが、それなりの雰囲気は残っている。

◆場所

 国道23号線を西尾市の中心部から幸田町へ向かうと、幸田町の手前に「家武町」交差点からしばらく進むと須美川を渡る橋があり、橋を渡りきった直後に右折して堤防道路に入る。すぐ左手に民家があり、その民家付近が城址である。