いちばじょう |
■所在地:豊田市市場町 ■立地:山頂 ■別称:大草城 ■築城年:1502年
■築城者:鈴木親信 ■遺構等:曲輪、石垣、堀、畝状竪堀群、土塁、碑 |
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主郭南側の曲輪に残る石垣 |
主郭東側の切岸 |
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主郭に立つ城址碑 |
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県内では珍しい畝状空堀群 |
麓からみた城址 |
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■歴史 |
戦国時代に西三河山間部を支配した三河鈴木氏の祖は紀州の出身で、壇ノ浦で平家を破った熊野水軍の指導者鈴木重善である。
1459年に鈴木親信が足助鈴木氏から小原・藤岡ら7ヶ村を拝領し、市場城(現・市場古城)を築いた。1502年に新たに城を築いて移ったのが現在の市場城である。市場城主4代重愛は徳川家康に従って主な合戦で戦功をあげ、家康から鱸(すずき)姓を賜って加増された。この時、市場城も改修されて石垣や多くの曲輪を構えた。
家康が関東移封になった後も鈴木氏はこの地に残り、豊臣秀吉に従わなかったので改易された。1592年には城も壊され、最後の城主となった重愛は放浪の末、1611年に祖国紀州の新宮で客死した。 |
●現状(2000年5月) |
城址は順路に沿って歩けば城内の主な遺構を一通り見ることができ、ざっと歩けば一周30分程度の距離である。順路は遊歩道として整備されており歩きやすい。当日も、地元の方が草刈りをやっていた。おかげで、雑草に遺構が覆われることもなく、また、遺構付近は間伐もされているので明るくて非常に見やすい。遺構には看板も立てられている。特に注目したいのは、この規模の山城としては珍しい石垣と、県内では珍しい畝状空堀群である。石垣は一部が新たに積み直しされている。畝状空堀群とは、竪堀(たてぼり)を密集させて山の斜面に並べたもので、これは攻め手の横方向への動きを封じるものである。歩きやすい堀の底を縦一列になって登ってくる敵を想像すると哀れである。
大きさも手頃で見所も多く、整備もされているのでお薦めの城址である。
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◆場所 |

豊田市市場町を走る国道419号線を東へ進み、市役所の小原支所を越えてすぐに本城小学校の看板があるので学校の方へ入っていく。本城小学校の西数百メートルのところに広円寺があり、その裏山が城址である。お寺の駐車場が城址の駐車場にもなっており、トイレもあるのでありがたい。 |
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