細川城山城
ほそかわしろやまじょう

■所在地:岡崎市細川町字城山 ■立地:丘陵端 ■別称:■築城年:16世紀中期
■築城者:
松平氏 ■遺構等:曲輪、土塁

奥の一段高い部分が主郭
主郭北側の土塁 東側にある曲輪

■歴史
 城主としては松平久助の名が伝えられている。久助は大給松平(豊田市)親乗の家臣と伝えられているが、詳細は不明である。細川松平氏初代の親忠は大給松平氏初代の乗元に細川城を譲り、大給松平氏2代の乗正は1510年ごろ大給へ移り、細川城は大給松平氏の支城となったと考えられている。

●現状(2002年2月)

 城址は全面が畑になっているが、一段高くなっている主郭と思われる地形があり、周りに土塁も良く残っている。少し低くなっている土地を挟んで曲輪らしき部分もある。
高台の周囲は崖状になっているが、切岸というよりは、道路や宅地造成の際に削られたものが大部分のようである。
 散歩に来ていたおばあちゃんは、ここが城址ということを知っていて、「ここがお城で、そこの低いところが池のあった場所で、むこうの梅の木があるところが出城の跡だそうです。」と話してくれたが、畑仕事をしていたおばちゃんは、ここが城址ということを知らなかった。


◆場所

 豊田市との境にある矢作川にかかる国道248号の葵大橋のすぐ東「細川町」の交差点を北へ曲り、細い道を進んでいくと松平久助の葬られている蓮性院というお寺がある。そのお寺の前の道を挟んで南側に高台があり、そこが城址である。