本宿陣屋
もとじゅくじんや

■所在地:岡崎市本宿町南中町 ■立地:丘陵端 ■別称:■築城年:1698年
■築城者:
柴田勝門 ■遺構等:看板

看板奥が陣屋跡 近くの法蔵寺にある近藤勇首塚

■歴史
 郷土史本宿研究会の建てた説明板によると、1698年に柴田勝家の子孫である柴田勝門が知行所支配のために陣屋を設けた。以来、明治まで続いた。代官職は冨田家が世襲した。
●現状(2004年3月)

 現在は冨田病院の敷地となっている。このあたりは旧東海道沿いなので、江戸時代からありそうな店などが点在している。病院の入口に本宿陣屋の説明板があり、病院に隣接して1827年の建築という古い邸宅がある。
 ここからもう少し東へ行くと法蔵寺というお寺がある。ここは家康が幼少のころ勉強した場所で、遺品が多く残っているらしい。門前には家康手植えといわれる松(今は枯れてしまって2代目)もある。
 さらに、以外と知られていないが、新撰組の局長、近藤勇の首塚がある。京都三条大橋に晒された首を仲間が持ち出し、近藤が生前慕っていた寺の住職に埋葬を依頼しようとしたら、既に法蔵寺の住職として転任していたので、住職を頼ってこの寺へ持ちこんだとされている。当時は罪人の墓ということで墓石を埋めて、そのまま忘れ去られていたということである。台座に彫られた建立年が1年早いことから懐疑的な見方もあるが、年の間違いは歴史書でもよくあることなので、単なる間違いではないかという説もある(実際、干支は合っている)。どちらにしても決定的な資料が発見されないと話の決着はつかないだろう。

◆場所
 法蔵寺
 名鉄本宿駅のそば、国道1号線の「本宿駅東」交差点を南方向へ曲り、突き当たりを左折して少し行くと右側に冨田病院がある。道路沿いに本宿陣屋の看板がある。