はぎじょう |
■所在地:音羽町大字萩字下ノ坪 ■立地:丘陵端 ■別称:− ■築城年:−
■築城者:− ■遺構等:曲輪、堀、土塁、井戸、碑 |
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城址遠景(中央の小さな白いものが城址碑) |
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主郭の様子 |
主郭南側の登城路 |
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■歴史 |
戦国時代には、作手の奥平氏が領有していた。奥平勝次のときに長篠の合戦に参加し、奥平本家の信昌とともに長篠城に篭城して戦功をたてた。 |
●現状(2004年3月) |
実際に現地へ行っても目印が少ないので、川や道路、橋の位置から見当をつけて城址のある山を探したが、最初に登った山は全く別の山で、歩道があったのでちょっと登ったら墓地があった。曲輪が墓地とはよくあるパターンだと思い、縄張図にはこんなところに曲輪はないけどなあと思いながらも更に登ると、急に開けた場所にでて送電線の鉄塔が建っていた。
再び地図とカーナビの地図を照らし合わせてみると全く違う場所だと気付き、その場所へ行くと道路沿いに小さな城址を示す碑が建っていた(写真中央に小さく写っているやつ)。しかし、何を考えていたのか、真っ先に山への入口が目についた隣の山へ入ってしまった。これが偶然にも縄張図に似たところがあって、ちょっと違うなあと思いながらも主郭と思われるところまで登ってしまった。そこへたどり着くと、どうも形が違うし削平も不充分である。
またしても違う山だったかと思って城址碑のところまで戻ったところ、碑のすぐ後ろになんとか人が登れそうな場所があり、ここが一番入りにくい場所だったけど、位置的にもやっぱり碑のすぐ後ろの山だよなあと思って踏み込むと、ようやくそこが正解だった。主郭は広くて下草も茂っていないので歩きやすくなっている。城は、主郭とその周囲の帯曲輪のみという単純な構造である。
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◆場所 |

国道1号線の「音羽」交差点を北上して4.5キロのあたりで小川を渡り、すぐに信号のない交差点があるので左折する。すぐ右手に慈眼寺というお寺を見ながら数十メートル進むと道が分かれているので左折する。またすぐに道が分かれているので左へ向かう。150メートルほどで右手に白い小さな「萩城址」と書かれた標柱がある。
城への入り口は、そのすぐ後ろで、よく見ると人が踏み固めた道ができている。 |
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