長沢城は長沢保育園や国道1号を挟んで北側の高台にある住宅地一帯にあった。
長沢保育園に長沢御殿の井戸が残っているということで保育園へ行ってみると、敷地の一番奥に井戸らしきものがあったが、安全対策のためか、コンクリートと金網で覆われており、また、フェンスで囲まれた敷地の奥にあったので中を覗くことができなかった。
次に、国道1号の北側の主郭部分へ向かうために長沢小学校の南側の道路を東へ歩いていくと、小学校の南東隅に「長沢城跡」の説明看板があった。学校の東側の道路を北へ向かうと国道1号の下をくぐり抜けて北側へ出ることができる。城址の碑や井戸を探したが全くわからない。しばらく歩き回っていると家から出てきたおばあちゃんがいたので城址の碑がある場所を聞いてみると、「この向こうに広場があって、そこにあるよ。それと、すぐそこのトンネルの所にも小さい三角の石に赤い字で書いてあるやつがあるよ。」と教えてくれた。広場とは、おそらく住宅街の西にある戦没者慰霊碑のある広場である。そこは先ほど見たので確認すると、「城の石碑がある。」と言うので、先ほど行ったときに見落としたかなと思い再び探したが、やはり見つからなかった。仕方がないので、もう一度住宅街の中を歩き回ると、先ほどは逆方向に歩いていて見落としたのか、民家に立派な石碑が建っているのを発見した。このあたりにも井戸があるはずだと思ってさがしたが見つからなかった。さらに、おばあちゃんが教えてくれたもう一つの碑も、国道1号線をくぐるトンネルのあたりで探したが、ついに見つからなかった。これらを断念して車に戻ったが、主郭付近の写真を撮ろうと思って歩いて国道1号まで出ると、道路の向こう側に井戸が見えていた。たまたまこの日は一眼デジカメを使っていたので、望遠レンズでしっかり撮ることができた。
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