長沢御殿
ながさわごてん

■所在地:音羽町長沢字午新 ■立地:丘陵裾 ■別称: ■築城年:1634年
■築城者:
■遺構等:井戸、説明看板

御殿跡(現・長沢小学校付近) 学校の南東角にある説明板
長沢保育園にある井戸 説明板

■歴史
 1634年に徳川家光が上洛する際に、休憩所として建てられたといわれている。

●現状(2006年2月)

 長沢保育園に長沢御殿の井戸が残っているということで保育園へ行ってみると、敷地の一番奥に井戸らしきものがあったが、安全対策のためか、コンクリートと金網で覆われており、また、フェンスで囲まれた敷地の奥にあったので中を覗くことができなかった。
 次に、国道1号の北側の長沢城主郭部分へ向かうために長沢小学校の南側の道路を東へ歩いていくと、小学校の南東隅に「長沢城跡」の説明看板があった。看板には、元禄12年の長沢城址の絵図もついている。それをみると長沢城は3重の堀に囲まれた堅固な縄張りで、城の南東に御殿がある。御殿が建てられたのは長沢城が廃された後である。御殿の痕跡は、保育園にある井戸ぐらいしかない。御殿の敷地が小学校の敷地のどのあたりになるのかは全くわからない。


◆場所