登屋ヶ根城
とやがねじょう

■所在地:音羽町長沢字番場 ■立地:丘陵 ■別称:登谷ヶ根城、鳥屋ヶ根城、トカ子城、関口城、番場城
■築城年: ■築城者:番場氏 ■遺構等:曲輪、堀、土塁、土橋、碑

南から見た城址全景 城址東側の土橋
城址南側の堀 城址東側の堀
北側から見た城址(右下が城址碑) 城址碑
縄張図

■歴史
 13世紀末に番場致由が築いたとされているが定かではない。
 1561年の今川氏と松平氏の戦の時に、今川氏の武将・糟谷善兵衛と小原藤五郎がこの城を守って善戦したが、城内から火が出て勢いづいた松平勢に攻められ今川勢は退去した。この時、14歳の本多平八郎忠勝が初陣を飾ったといわれている(前年の桶狭間の合戦前に、家康の大高の兵糧入れに従ったのが初陣ともいわれている。)。

●現状(2006年2月)

 現在主郭には、史跡には甚だ似つかわしくないHOTELが建っている(もちろん、シティホテルやビジネスホテルではない)。国道1号線の「関谷」交差点にHOTELの看板があり、その案内で城址まで行けて、しかも抜群の目印となっている。いくら昼間は準備中だったとはいえ、首からカメラをぶらさげて周囲をうろついていればかなり怪しく、従業員や客に見つかったらひとたまりもない。ちなみに、この日は長沢城から国道1号線を通らずに農道などを走って行ったので大変に複雑な行路となってしまった。
 城址の南側は浅い堀と切岸が確認できるが、堀の中は上の写真のとおり、ゴミの山(ほとんどがミカン)である。どうやら、どこかのミカン農家のミカン捨て場になっているらしい。城址の南側の道路沿いに東へ向かうと上へ登る道がある。登っていくと、主郭の入り口である土橋と、両側には規模の大きい堀がある。主郭の奥の方は、ホテルの敷地や従業員の駐車場になっていたので踏み込まなかった。土橋の外側も畑になっていて何も遺構はなかったが、馬出しのようなものがあったと推測されている。主郭の北側の道路沿いに「登屋ヶ根城址」と書かれた碑が建っている。


◆場所