大通寺山陣所
だいつうじやまじんしょ

■所在地:新城市長篠大通寺山39 ■立地:丘陵 ■別称:大通寺山砦  ■築城年:1575年
■築城者:
馬場信房、武田信豊 ■遺構等:曲輪、説明板

大通寺 大通寺裏山内と説明看板
馬場信房らが決別の盃をかわした盃井戸 大通寺から見た長篠城
■歴史
 1575年の長篠の戦いの際に武田方の馬場信房(信春)、武田信豊が築いた陣である。
 5月19日に医王寺の本陣で行われた軍議で武田勝頼は決戦を決断し、諸将はそれぞれの陣地へ戻ったが、信房は内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次 らを大通寺山の陣所に招いて決戦での奮闘を誓い、今生の別れとして泉の水を汲んで訣別の盃をかわした。
 5月21日に武田軍は織田信長・徳川家康連合軍と設楽原で戦ったが、武田軍の主な武将が次々と戦死し敗退した。信房は退却の殿軍を務めたが、勝頼の退却を見届けると引き返して織田軍と戦い戦死した。

●現状(2012年5月)

 5月の連休を利用して長篠の合戦関連史跡を巡りを企画しました。あいにく昼から激しい雷雨となってあまり回れませんでしたが、午前中は晴れていて、大通寺を訪れた時も暑いぐらいでした。
 大通寺は国道151号の長篠城に近い交差点にあるのでわかりやすいです。戦国時代ファンならその名を知らぬ者はないといっても過言ではない、名将馬場信房がここにいたというだけで感慨深いものがあります。
 寺の裏山が砦跡とされていますが、広い平坦地があるだけで、歩いても歩いても特に砦の遺構らしいものは確認できません。砦の範囲というのもはっきりしません。途中で説明看板が立っています。
 寺の境内のすぐ裏手には盃井戸があり、説明板の由来を読むと、戦国武将の生き様に触れることができ胸が熱くなる思いでした。


◆場所