城址は民家となっているが、畑に囲まれて点在する民家の敷地は周囲より一段高くなっており、明確な遺構はないが曲輪のあったところとされている。一部、民家の北側にある竹薮が周囲より一段低くなっており、堀であったことがうかがえる。 古絵図によると大きな土塁や櫓台、枡形虎口があり、単なる居館ではなくて軍事的な館城であった可能性があるという。