現在は豊橋公園として整備されているが本丸付近は良好な状態で残っていて、石垣や堀が良好な状態で残っている。本丸鉄櫓跡には三重櫓が復興されており、豊橋市のシンボルとなっている。他は市役所やグラウンドなどの敷地となり部分的に土塁や堀が残っている状態である。 しかし、それらの面積は広大で、吉田城がいかに規模の大きいものだったかを実感できる。ちなみに、牧野氏の時代の今橋城の痕跡は全く残っていない。