牛久保城
うしくぼじょう

■所在地:豊川市牛久保町城跡 ■立地:段丘上 ■別称:牛窪城 ■築城年:1529年
■築城者:
牧野成勝 ■遺構等:碑、看板

牛久保城古絵図
城址碑のある公園 牛久保城址碑

■歴史
 1529年に牧野古白の子成勝が築いた。成勝は一族の保成を城主として東三河制覇を狙ったが、成勝の反今川的な行動が今川義元の怒りを買い、保成は西条城(現:西尾城)へ移され牛久保城は今川氏の支配下に入った。桶狭間で義元が討たれた後は三河統一を狙う松平氏に抵抗をつづけたが、やがて、西条城にいた当主の成定は家康に従った。やがて城は拡張され城下町も作られていったが、1700年に廃城となった。
 牛久保の地名の由来は、窪地にいた牛が住民を通せんぼしていたが、牧野古白が来たときは牛が起きあがって古白を通したので、それまでの一色という地名を牛窪にした。そして、保成が牛久保という字に変えたといわれている。

●現状(1999年11月)

 豊川の河岸段丘上にあり、JR飯田線の牛久保駅の踏み切りに隣接する小さな公園に城址碑が建っている。看板には城の説明と古図が載っている。それによると城は二重の堀に囲まれ、周囲には寺社を多く配置し、城下町が作られ、町の外から城まで直線で通る道はなく、かなり守りが堅い城である。今は、その雰囲気は全く残っていない。


◆場所

 JR飯田線の牛久保駅からすぐ東の踏み切りを渡ると左手に公園があり、城址碑や説明看板がある。駅周辺一帯は城内である。