東広瀬城
ひがしひろせじょう

■所在地:豊田市東広瀬町城下 ■立地:丘陵上 ■別称:広瀬城 ■築城年:
■築城者:
■遺構等:曲輪、土塁、堀、碑

主郭の様子 城址碑
東広瀬城縄張図

■歴史
 築城については諸説ある。南北朝時代の1344年に南朝方の児島高徳が築城したといわれている。児島氏の後裔の三宅高清が織田氏についたため、1560年に松平元康(徳川家康)によって攻められ、落城した。
三宅氏が児島氏の後裔かどうか定かではないが、代々三宅氏の居城であった記録がのこっている。三宅氏は、戦国時代のこの地の有力な豪族であった。
●現状(2000年5月)

 名鉄三河線三河広瀬駅のすぐ東にある小高い山が城址である。城址のすぐ北側の眼下に矢作川を臨んだ天険の地である。駅の方から登って行くと結構広い曲輪があり、城址の説明看板がある。さらにもう一段上に主郭がある。主郭には広瀬神社があり、広瀬城址の碑もある。
 城址の反対側へ下りて行ったら、民家のすぐそばへ出た。ちょうど家の人が庭へ出ていて、犬にも吠えられ、ちょっと恥ずかしかった。民家の前に土塁のような土手が結構長くあったが、土塁なのかどうかははっきりしない。三河広瀬駅と城址の間が道路より少し低くなっており、ここはちょうど堀があった場所である。

◆場所