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■歴史 | |||||||||
築城についての記録は残っていないが、15世紀後半から16世紀前半にかけて、この一帯は三宅氏が治めていたので、その頃は三宅氏の居城だったと思われる。その後、松平氏が三宅氏を広瀬に追いやり、さらにその後は織田氏の領地となった。 織田信長の家臣佐久間信盛が城主であった記録もある。 |
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●現状(1999年5月) | |||||||||
愛知環状鉄道の保見駅の西800m、教職員会館の西南に隣接する丘が城址である。登城口を示す看板が出ているが、駐車できる場所がない(あるけど私有地っぽい)うえに、付近の道も狭いので路駐もできない。城址唯一の登城路は途中の民家にもつないでおり、帰りに買い物帰りの家族に出くわして気まずかった。 |
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◆場所 | |||||||||
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