金谷城
かなやじょう

■所在地:豊田市金谷町 ■立地:台地端 ■別称:挙母城、衣城 ■築城年:1308年
■築城者:
中条景長 ■遺構等:堀、土塁、碑

城址碑

■歴史
 近世に作られた挙母城(桜城・七州城)の前身の城で、鎌倉時代に中条氏によって作られた。
以後、中条氏の居城となったが、1561年に織田氏に攻め滅ぼされた。その後は織田氏、徳川氏の支配下に入り、1590年に岡崎城主田中吉政の支配下に入った。1600年の関ヶ原の戦以後は再び徳川家の支配下となり、1604年に 三河出身(豊田市梅坪)の三宅康貞が入封した際に戦乱で荒廃した金谷城を捨て、北へ1qの地に陣屋を構えた。そこへ桜の木をたくさん植えたので桜城(豊田市元城町)と呼ばれた。これが第二の挙母城である。
●現状(2001年5月)

 豊田市金谷町1丁目付近を本丸とした広大な城郭で、写真で見える公園付近から西の国道155号線付近までが城址とされ、付近には竹やぶが広がっている。本などでは上の写真とは違う碑石が載っていたが、それは見つけることができなかった。道路も細くて複雑なため自動車では詳しく付近を調べることができない。自動車で何度も同じ場所をぐるぐる回っていると、同じ人に何度も目撃されるので、非常に怪しまれている可能性が高い。
 徒歩で竹やぶのある付近を巡れば、土塁や堀跡が見つかるはずである。

◆場所