挙母城
ころもじょう

■所在地:豊田市小坂本町 ■立地:丘陵上 ■別称:七州城 ■築城年:1785年
■築城者:
内藤学文 ■遺構等:櫓台石垣、復興隅櫓、碑

復興隅櫓
挙母城址碑 城内の様子

■歴史
 挙母城というのは三つあり、鎌倉時代に中条氏によって作られた金谷城(豊田市金谷町)が最初である。
その後、1604年に三宅康貞が入封した際に戦乱で荒廃した金谷城を捨て、北へ1qの地に陣屋を構えた。そこへ桜の木をたくさん植えたので桜城(豊田市元城町)と呼ばれた。これが第二の挙母城である。
1749年に入封した内藤政苗は城の大改修に着工したが、建設途中から度重なる矢作川の氾濫に悩まされ完成しなかった。
 政苗の養子の内藤学文は洪水を避けて童子山へ城を移した。城から七国の山々が眺められたので七州城と呼ばれた。これが今の挙母城(豊田市小坂本町)である。
●現状(1998年12月)

 現在、城址は豊田市美術館および豊田東高校の敷地となっている。豊田市美術館の東に復元隅櫓が建っている。見るべき遺構は櫓台の石垣のみである。堀や土塁も残っているらしいが、高校(女子高)の敷地内らしいので確認できなかったが、その敷地面積から考えると、かなり規模の大きな城だったと思われる。もう少し時代が早ければ、立派な天守閣の城が築かれたかもしれない。
 城址にある豊田市美術館もなかなか素晴らしい美術館なので、興味のある方は是非立ち寄ってもらいたい。

◆場所