大給城
おぎゅうじょう

■所在地:豊田市大内町城下 ■立地:山頂 ■別称: ■築城年:
■築城者:
長坂新左衛門、松平乗元 ■遺構等:曲輪、石垣、石塁、土塁、堀切、碑

城址碑 主郭(紅葉の穴場!)
居館跡 居館跡付近の見事な紅葉
水源があった水の手曲輪 随所に残る石垣
石塁 堀切
本丸からの展望
大給城縄張図

■歴史
 もとは土豪の長坂新左衛門の城であったが、岩津に進出した松平信光が松平郷との交通確保のため攻略し、三男親忠が城に入った。そして、親忠は次男乗元にこの城を与え、乗元は大給松平家の始祖となった。乗元は城の大改修を行い、現在残る遺構はこの頃のものである。
やがて、大給松平六代の家乗の代で宗家の徳川家康の関東移封があり、家乗もこれに従ったので廃城となった。この間、大給城は多くの合戦の舞台となっている。
●現状(1998年11月)

 城址はよく整備されていて、縄張図の看板もあるので遺構を確認するのに参考になる。
城址には、この時代の山城には珍しく石垣や石塁が築かれている。また、整備の状態も良く、広範囲を歩いて回ることができる。城内は広く、樹木の密度も濃くないのでいろいろな遺構も確認しやすいので山城好きにはもってこいの城である。また、主郭近くにある物見石からの眺めは素晴らしく、西側が遠望できる。
また、桜や紅葉の木が多く、しかも普通の人はあまり立ち寄らないので穴場である。実際、秋に行ったときは主郭周辺の紅葉が素晴らしかったが、他には誰もいなかった。ただし、駐車場はなく路駐になる。

●現状(2017年11月)
 休暇を取ったので香嵐渓でも行こうかと思いましたが、久々に松平方面へ行ってみました。松平郷は思ったよりも状態の良い紅葉がなかったため、十数年ぶりに大給城へ。
 以前はなかった駐車場から歩いて城址へ。城内は、以前とは全く変わりありませんが、紅葉の木も大きくなって立派になったように思います。
 ちょうど紅葉は最盛期で香嵐渓にも劣らない見事な光景でしたが、相変わらず自分以外には一人もいない状況で、ゆっくり紅葉を満喫できました。
◆場所
豊田市街から国道301号を東へ向かい、矢作川を越えて松平橋を右折、次ぎの九久平町の信号を左折、しばらく進むと右手に案内看板があり、そこを右折してしばらく進むと右手に城址入口がある。